私はなぜ書くのか
書くことが好きだ。
好きだ、というよりも、常に私は、書くことと共にあった。
悲しい時
悔しい時
寂しい時
虚しい時
嬉しい時
幸せな時
楽しい時
白紙は、全てを受け止めてくれた。
私は、
伝えることが苦手で、
どうせ分かってもらえないと一人閉じこもってしまうような性格で、
聞くことが苦手で、
勝手に、相手に意見を押し付けられた気分になって、自分の意見を殺してしまうような性格だった。
そんな時には、自分の本音を、白紙に書いていた。
本当の私を、忘れないように。
全てを、肯定できるような場だった。
そしてもう一つ、違う話で言うと
私は俗に言うHSPだ。
楽しい時は、心の底からめちゃくちゃ楽しいし、
人から、物から、環境から、多大なる恩恵を受ける。
そういう時は、たくさんのことを吸収して、飽和して、、、落ち着かなくなる。
そういう時、私は白紙に書く。
丁寧に丁寧に、書く。
これが嬉しくて
これが楽しくて
これが美しいと思って
これに心を動かされた。
そうやって、心を言葉にすることで、
自分を落ち着かせられるし、
読んでもらうことで、私を知ってもらい、人と繋がることができる。
まあ、それと、簡単にいうと、
マイペースで口下手な私は
心を言葉にするのが、遅い。テンポ良い会話、むずい。
あと、人前に出ると、人目を気にした言葉しか喋れなくなる。(相手への優しさも含めて)
ただただ、私の言葉である、ということは、
自分を見ても、人を見ても、すごく尊いことな気がして。
私は、そうやってできた私の/誰かの文章が好きだ。
自分の心の動きが受け入れられなくて
「ああもう、なんでこんなこと感じるんだろう」とか
思うこともあるけど
文字にすると、
怒りの裏にある、悲しさや、理想
悲しみや後悔の裏にある、愛や、祈り
厳しさの裏にある、優しさに気付くことがある。
人の綺麗さ人間らしさに、気付くことがある。
それにね、そういうことに気付いたら、
きっと、人にも一歩優しくなれるから。
みんな、重なる部分はあるから。
私にとって、書くことは
自分に向き合う手段であり
自分を大切にする手段であり
人に伝える手段。
ジャーナリングとか、3行日記とか、振り返りとか、
色々やってきたけど、ね
白紙に、
興味のあるテーマで、
好きな分量で、好きなだけ時間をかけて
書くことに、最近はハマってるよ(note)
これからも書くことと共に生きていきたい。