仕事に人生捧げますか? ~あなたはなんのために仕事をするのか~
どーも、どーも。無職に戻った紫藤咲です(笑) はい。本日はハロワに雇用保険の再申請に行ってまいりました。短期だったので、残っていた日数分の保険を受けるために手続きしてきたんですよー。ちなみにコロナの影響で求人が減っていて、なかなか就職できない救済措置が特例として発動されています。それも聞いてきました! ですが、これ。うん。そんな簡単に
『雇用保険給付延長だー! たすかったー!』
ではぜんぜんありませんでしたよ。何回も訊いちゃいました、雇用保険給付担当さんに。これでもかってくらい。
え? そこまで言われたら気になる? ですよねえ(笑) これについては別の機会にお話ししようかなと思います。触りだけ話してズルいと思われた方はぜひ、コメントに『紫藤極悪』と書いていってください(笑) 検討します←おいっ
さて、そんなこんなで再び求職状態に戻りましたので、今回のテーマは『なんのために仕事をするか』について深堀しようと思います!
※前回入れるはずの漫画を入れ忘れたから急遽こんなテーマにしたというのはここだけの話にしておいてください(笑) こらっ、紫藤のうっかり屋さんっ!
★なんのために仕事をするか
実は最近、実家から小学生のときのアルバムを持って帰ってきました。そこにはまだあどけなさの残る六年生の私の姿が載っていました。さらに卒業文集も一緒になっているのでね。将来の夢なんてものも書いてあるわけです。
ちなみに小学六年生の私の夢は『動物の気持ちがわかる獣医さん』でした。数学苦手なのに獣医さんになりたいって思ってたんですよねえ。獣医さん、なれませんでした。でもいい線いってました(笑) 現在、四匹の犬猫さんたちと同居生活です。彼らの気持ちがわかるかどうかは微妙ですが、たくさんの動物たちに囲まれている環境は小さい頃の私が望んだとおりになっているわけです。
このように小さかったころの夢を叶えられなかった人がきっと多いのではないでしょうか? まあ、夢ですしね。夢ってそうそう叶いませんしね。叶うために努力しても、努力を途中であきらめても、夢を手にするのは簡単なことじゃありません。
しかし、そうはいっても人生、どこかで仕事をしなければならなくなります。生きていくためです。資産がたくさんある人ならば働くことなく収入が得られます(不労所得)。でもそれもほんの一握り。大抵の人は働くことを余儀なくされます。
このとき、あなたはどんな仕事を選ぶでしょうか?
①好きな仕事に就く ②給料のいいところに就く ③とりあえず食うために仕事する などなど。
選ぶ理由はさまざまでしょうし、環境にも左右されることでしょう。 好きなことを仕事にできて、かつ給料がよければ食うためになんてことも考えずに楽しく仕事ができます。そういう道を選べた人はしあわせです。では、今のあなたはどうでしょうか?
ちなみに私はこんな感じです。
長いこと、介護の仕事をしてきましたが、本当に嫌だった(笑) もちろん、悪いだけではなかったですよ? 『ありがとう』とたくさん感謝もされました。こんなに人に感謝されることなんてないだろうっていうくらいに。ただそれと同じくらい怒鳴られたこともあるし、拒絶されたこともあります。なんで誕生日に人の排泄物の処理をしているんだろうって考えたこともありました。
しかし、リーマンショック時の不況の際、小さい子供を育てる主婦を受け入れてくれたのは介護業界しかありませんでした。事務職をしたくても、小さい子供がいると電話の問い合わせの時点で断られました。だけど介護業界は『大丈夫だよ。おいで、おいで』と優しく迎え入れてくれました。拾ってもらった恩を返すためにひたむきに働きました。だけど人生を捧げてまでやる仕事とは結局最後まで思えなかったんです。
それはなぜか。
仕事が私の人生の中心軸にはならなかったからです。
★縛られたら苦しくなる
仕事が自分の中心軸になかったのに、それでも私は仕事に縛られました。『もっと稼がないと』『認められるようにならないと』と躍起になっていました。そのストレスは自分の心身を蝕んだだけでなく、家族までもに暗い影を落としました。
そうです。私は自分の大事な家族をも苦しめたのです。
仕事がたいへんになって、家事もかなり手抜きになりました。総菜も増えて、作る品数も激減しました。掃除の回数も、洗濯物の片付けもきちんとできなくなりました。
子供がもっと話したい、もっと一緒にいたいという時間は疲れ切っていて怒ってばかりでした。お金は苦労しなくなっても、幸福度はあがりません。しんどさだけが増していったんです。
でも仕方ありません。食っていかないといけないし、食わせていかないといけないから。立ち止まるなんてもってのほかです。とにかく仕事をして、子供たちを大きくするんだ――それだけに囚われると不安感がどんどん増していきました。そうです。お金について不安になるんです。足りない、足りないって、いつも考えて暮らしていました。
これが本当に苦しかった。
★立ち止まったら見えたこと
ブラック企業を選び続けていたのは、私が『お金』に縛られていたからです。国のお世話になっているということが恥ずかしいという思いもありました。シングルマザーと言いながら、女手ひとつでといいながら、国の制度におんぶにだっこ。これのどこが一人で育てていることになるのかと――そういう考えのもとにいたから、必死で自立しようともがいていました。それこそ、失業する前までずっと……
ですが、一度立ち止まると、あら意外。自分が思っていたよりも苦しくないのです。むしろ働いているときよりも幸福度が上がりました。仕事をしなくても収入を得られるから――ではなく、そんなに自分を追い詰めなくてもなんとかなるんだというのが実感として私に宿ったからです。
私には趣味があります。こうして文章を書いていることも、漫画を描くことも私にとっては人生の大きな意味ある行動のひとつです。仕事をしているときはこの趣味にも時間をあまり割けませんでした。割こうとすれば家事をおろそかにしたり、子供のことを後回しにしなければなりません。そうなると家族の不満が高まります。ストレスがぶつかり合って、互いにつらくなっていきます。つらくなってすり減っているのに、加速していくんです。ネガティブなことがどんどん連なっていって、右を向いても左を向いても真っ暗闇。自分の進むべき道すら見つけられなくなってしまうのです。
しかし立ち止まれば、自分がどこにいるのかを考えられるようになります。前を向くべきなのか、右へ進むべきなのか、左へ迂回していくべきなのかをじっくり考えることができるんです。なんなら進むことをあきらめて、一度後ろへ下がってみることもできます。後ろへ下がったらなにができると思いますか?
視野が広がります。引いてみることで全体を見ることができるようになります。また助走をつけて走ることもできます。目の前に大きな壁があったとしたら、それを乗り越えるための手立てを、壁の真ん前にいるときよりもずっとたくさん考えれるようになるんです。これ、すごいことだと思いませんか?
★なんのために生きるのか
いい仕事は好きじゃなくちゃできない――これはブラック企業にいるときに上司に言われた言葉です。ですが、本当にそうでしょうか? 好きじゃないとできませんか? 好きじゃなくても楽しめればいいんじゃないですか? かならずしも情熱をもってやらないといけないんでしょうか?
いいえ。仕事は人生の一部であってすべてではありません。だからこそ、そんなに身構えなくても、がんばらないとと肩ひじ張らなくてもいいんです。仕事がすべてである人ならば全力でやればいいけれど、そうでなかったら六割の力で充分です。普段六割だったなら、八割の力を出したらすごいことができるようになるんですから。
だからこそ、仕事で苦しんでいる人には一度、深呼吸をしてもらいたい。立ち止まって、これで本当にいいのかと自分と対話をしてほしい――私はそう思います。
なんのために生きるのか。仕事のためですか? 自分の夢を実現させるためですか? 仕事は手段ですか? 人生のすべてですか? あなたの人生にとってどれくらいの重きがありますか? 自分の体や心を壊してまでやらなければならないことですか? もっと自分に合った仕事はありませんか? もっと楽になる道はありませんか?
そうやって自問自答を繰り返してほしいんです。
仕事を辞めることは覚悟も要ります。不安はつきものです。
でもね、自分が不安に思っているよりも人生わりとなんとかなるんです。これも考え方次第なのかもしれませんが――
積極的に失業をしろという話ではありません。あくせく働くのをやめてみませんか? という話です。今までの自分だったら選択しなかったことに答えがあるかもしれないと思ったら、ちょっとやってみたくなりませんか?
人生は一度きりです。年を重ねて振り返ったとき、後悔ばかりではつらくなる――そうならないために、走り続けている人は一度休息をとってみましょう。走るためには休むことも大事。休まなかったら途中で倒れてしまいます。取り返しのつかないことになる前に一度見直してみましょう。自分のライフプランはこれで本当にいいのかと――
なお、私は失業したことで読書という新しい道を開拓しました(笑) あと禁煙もできるようになりました。家族に笑顔が増えました。息子氏からは「どんな仕事に就いてもいい。だけど前のあんたには戻らないでくれ」と念押しされています(笑) 子供にこんなこと言わせる親、最低でしょ? 今の私はそう思います。昔はわからなかったからね(笑)
仕事のことで悩んでいる人の一助にならんことを祈って。
次回もお楽しみに~!