【Webライターという生き方】母の命日にあたって考えるこの1年[#062]
いらっしゃいませ!
50代のライター生活へようこそ!マスターのサケサカです。
昨年の2月19日、母が逝去しました。
ちょうど80歳での逝去だったのですが、連絡を受けて実家に駆けつけた時にはすでに警察の現場検証が行われている最中で、母の最期を看取ることはできなかったのですが、あの光景ははっきりと覚えています。
その反面、随分と昔のように感じるのもまた事実。
実は、母が逝去した2月から翌3月にかけては、私がWebライターデビュー後もっとも上り調子の時で、無茶苦茶忙しい時期だったんです。
そんな中それから3ヶ月ほどの間、通夜と葬儀を終えた後も、後処理やら何やらと実家のある千葉でやらなければならないことも多く、私は生活の場所と仕事場を横浜から千葉へ移すことにしました。
パソコンからモニターまで含め一切合財を実家に持ち込み、千葉と横浜を行ったり来たりしながらも、ほとんどの作業は誰もいないガランとした3LDK古い木造家屋で1人寂しく仕事をしていたものです。
横浜のマンションの1室と、千葉の古い住宅街の木造家屋のリビングでは、想像以上に作業環境が違ったなぁ……。
しかしまぁ、その時に思ったのは『Webライターになっていて良かったな』ということでした。
好きな時に、好きな場所で、好きな形で仕事ができるのがWebライターを始めとするネットビジネスというお仕事ですが、それをつくづく実感した3ヶ月だったのを覚えています。
それまでのように飲食業に勤めていたら、後処理のために3ヶ月も実家に引きこもるなんて(3ヶ月丸々後処理が必要だったわけではありませんが)、とてもじゃないが考えられなかったですもんね。
それができたのも含めて、Webライターになってよかったなと思わせてくれた瞬間でした。
そんな中で3月は過去最高月収も達成しましたしね。
以前、Webライターになってどうにか生活ができるようになった頃、母と話したことがありました。
私の弟は子供の頃から漫画家になりたいという夢を持っており、大学生の時にその夢へのきっかけをつかみ取って以来、今でも漫画家として活躍しています。
それに対して兄である私は、子供の頃は小説家、少・青年期はミュージシャンになりたいと思っていながらも、結局は夢破れ飲食の道に進みました。
それが、紆余曲折を経てWebライターという、小説家とは違うけれど大きなククリでは『物書き』という仕事に着いたというのは、なんだか面白い因果だねなんて、母と話したのを覚えています。
父が亡くなったのは、飲食店を経営して軌道に乗りはじめた時。そして、母が亡くなったのは、Webライターとして軌道に乗りはじめた時と、奇しくも私のその時期のビジネスが形になりはじめた時に両親ともに逝去しているという事実。
今、このnoteを書きながら気が付きました。
親というものは、子どもが独り立ちしたのを見届けると、どこか安心するものなのかもしれません。
まぁ、それにしちゃ50過ぎて職にあぶれ、他業種に転職する息子など、危なっかしくて見ていられなかったかもしれませんが。
それにしても母の逝去から1年が経ち、この1年を改めて振り返ってみると、もう随分昔のように感じられます。
それだけ濃密な1年を過ごしてきたのかもしれませんね。
Webライターとしての最高月収(57万円)を達成し、そこからもっと自分自身のビジネス設計に力を入れようと、クライアントワークだけの生き方からシフトすることを模索した1年。
ブログを書いたり、noteやスタエフの毎日更新を始めたり。
あるいは、オンラインサロンや自身のコミュニティで多くの人と出会ったりと、今では本業であるWebライター業以外にも多くの時間を使ってきました。
とはいえ、Webライター以外の部分では、まだまだ努力も成果も足りないといわざるを得ません。
これから先、いくつになっても豊かな生活を送り続けるためにも、ますます色々な事に挑戦し続けていきたいと思っています。
母の一周忌にあたり、そんな新たな決意を固めた本日でした。
では、また明日!
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