日本酒のおいしさ 7 生理的なおいしさ

人も動物であり飲酒による生理状態の変化が、嗜好の変化を引き起こすことが考えられる。飲んでいくうちに、だんだんおいしくなっていく酒や、逆にあまりおいしくないと感じる酒があったという経験を有する方は多いと思う。
実験動物として使われるラットは、情報や文化にはとらわれず生きていく上で必要なものを選択する。二つの容器に入った焼酎と日本酒を同時に与え自由に飲めるようにすると焼酎より日本酒を好む。糖分やアミノ酸等を多く含む日本酒の方が生理的欲求は高いようだ。
それでは、日本酒ごとの成分の違いがどの程度生理状態に影響するのだろうか。絶食状況下のラットに様々な銘柄の純米酒を与え、同じ方法でどれを好むか評価したところ、ラットは、摂取後の血中ケトン体や遊離脂肪酸濃度の上昇が少ない日本酒を選ぶ傾向にあった。エタノールの摂取は、血糖値低下、ケトン体生成、遊離脂肪酸増加などの生理的変化をもたらすが、これはいわゆる飢餓状態の特徴であり動物にとっては好ましくない生理状態である。動物は、好ましくない生理状態になりにくい日本酒を生理的においしい清酒としたのである。また、これは、純米酒というカテゴリーの中でも成分の違いにより、飲んだ後の生理的変化が異なることを示している*。

*Yasuko Manabe et al: Relationship between the Preference for Sake (Japanese rice wine) and the Movements of Metabolic Parameters Coinciding with Sake Intake, https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1271/bbb.68.796

人でも同じことはいえるのか、日本酒の飲酒及び評価経験に応じて日本酒経験者群(清酒製造業に関係し清酒の官能評価経験を有する群)と日本酒初心者群(日本酒に関する経験が10年以下の被験者群、主として大学院生)に分け、酒を飲みこまず口の中に少量かつ短時間含んだ香味による嗜好評価試験(味見としてのきき酒で好きな順序を評価する)と実際に1時間自由に飲酒し、飲んだ量により嗜好を評価する試験の二つの方法により検討した*。また、試験は、試験前数時間は水以外飲食しない空腹条件とあらかじめ食事を与えた条件で行った。その結果、
① 日本酒経験者群では、空腹状況下で、きき酒による嗜好と飲酒試験による摂取量に基づく嗜好がほぼ同じであり、これらの嗜好はラットで観察された嗜好とは異なっていた。つまり、経験者群は経験により嗜好が固定化されていると考えられた。
② 一方、日本酒初心者群では、空腹状況下で、きき酒による嗜好と飲酒試験の嗜好が異なっており、飲酒により嗜好が変化した。また、飲酒開始30分以降の嗜好がラットの日本酒の嗜好と相関していた。
③ 日本酒初心者群に食事を与えた後の飲酒試験による嗜好は、きき酒による嗜好と類似しており、飲酒により嗜好は変化しなかった。ラットと類似する日本酒の嗜好、生理変化に関連すると考えられる嗜好変化は、空腹状況下に特異的であった。

* 眞鍋康子他: 清酒経験, 清酒摂取時の摂食状況, 咽下の有無が清酒の嗜好に及ぼす影響, https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1988/102/12/102_12_897/_article/-char/ja

これらの結果は、日本酒のおいしさにはきき酒した際に口の中で感じるおいしさの判断だけではなく、実際に飲酒した際の生理的変化も関与することを示唆している。すきっ腹の酒は五臓六腑にしみわたるというおいしさであろうか。また、空腹状況に合わせて銘柄を選んだり、飲食の途中で銘柄を変えたりすることでさらにおいしく飲める場合があるということではなかろうか。

初出 醸界協力新聞 2013

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