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筋トレの「練習」をしてはいけない

筋トレの「練習」をしてはいけない。

先日そのように実感したので、このことについて書いてみる。

昔ただガムシャラに筋トレをしていた頃、よくある話だがすぐに伸びが止まってしまった。

どう頑張っても重量も伸びない効いてる感じもあやふや、なのに肩や手首を怪我しそうな感じだけは明確にわかる。そんな感じ。

そんな風にくすぶっていたとき、私は「そもそも筋トレをしていい身体じゃないのだ」という結論を出した。

身体の左右差や歪みが酷すぎるし、筋トレのもっともっと手前の、なにか基礎的な能力にかけているのだと。

それで整体や武術の世界を掘っていったという経緯がある。


今回はそんな大きな流れの中で筋トレを再開したのである。

だから、ただガムシャラにやってはダメ。

「整った身体で整った動きをするのが最も重要」だという意識が強いわけだ。

重要なのはその「動作の練習」であり、少し大袈裟に言えば「リハビリ」なんだと。

そう考えてしばらくやってみたのだが

今の結論、筋トレの「練習」はしてはいけない。

いや正確にはしてはいけないわけではないのだが、やるのなら本番を終えた後にせよ、ということだ。

実際にやってみて確信したのは、筋トレの「練習」をしていたら永遠に本番セットはこないということ。


動作を練習してる中で「これだ!」と掴めたら、そこから本番で追い込んで終わりとすればいいと考えていた。

しかし実際にやってみると…大体3パターン。

①いつまで経っても「これだ」とならない疲れて終わる
②掴んだと思っても重たいのを持ったら結局わからなくなる
③練習に疲れて本番の強度がすごく低くなる

全身的に疲れて、本番を迎える前にその日のトレーニングが終わる。

そして何より「甘え」が出る。

「この1セットが本番!」という必死さがなくなってしまうのだ。

強い集中なしに強度の高いの運動はできない。

例えば動作の中でちょっと違和感を感じたら、もう途中でやめて練習に戻ってしまう。

ちょっとよくないな…と思いつつも、いつまでたってもそんな感じ。


結局これ、おそらく机上の空論なのだ。

「練習して完璧なフォーム・感覚を掴んでから本番だ!」というアレだ。

ベルセルクの「達人になってから戦場に出る」っていうダメ思考の亜種なのだ。


つまるところ、ウォームアップと最もしんどい最後の数レップに至るまで。

ここが練習なんだ。

練習も、本番並みに本気にならないといけない。〆切付きなのだ。

もしさらにトレーニングの練習がしたければ、本気の本番を「終えてから」追加でやればいい。

もしくは本番とは完全に分離してやればいい。

まあ疲れてそれどころではなくなるわけだが(笑)



で、これ何かに似てるなと。

気づいた、これ「執筆」における「リサーチ」と相同の関係にある。

書く仕事の経験があればわかると思う。

リサーチし過ぎると、いつのまにか何も書けなくなる。

理想は完璧なリサーチをして完全な情報を書くことだが、それはやっぱり理想なのだ。

というかリサーチしてるとそこに甘えてしまうのだ。

ダラダラといつまでも調べものをしてしまう。

楽しい…というか「ラク」なのだ。

アウトプットは大なり小なり他者からの評価に晒される。ヒリつく行為でもある。

比べてインプットはラクなもんだ。

安全地帯の評論家様。

しかもコイツは「よりよい執筆のために!」という大義名分付き。

心はこういうのに弱い。すっかり嵌められる。

いつのまにやら本番である執筆が消えてしまうのである。


ちょっと筋トレの場合がどうだったかもう一度書いてみる。

①いつまで経っても「これだ」とならない疲れて終わる
②掴んだと思っても重たいのを持ったら結局わからなくなる
③練習に疲れて本番の強度がすごく低くなる

…まさに同じ(笑)

①どこまでリサーチしても「これだ」とはならない
②「わかった」と思っても書いている内にわかってなかったことに気づく。
③リサーチだけで時間が過ぎ去り体力が尽きる。

結局は「甘え」になってしまうのである。



ではここで「領域展延」してみようじゃないか。

リサーチしたければ執筆が終わってから。優先すべきことが済んでから。

というのはどうか。



筋優先法ならぬアウトプット優先法だ。大事な方から先にやれ。

インプットよりアウトプットの方が重要。



筋トレの練習は本番の後でやれ。執筆のリサーチは書き終えてからやれ。

大切なルールとして運用すべきだな。

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