サカト@バイオハッカー
サカトの四国八十八ケ所お遍路旅の記録です。
不思議な感覚に出会ったのでここで詳細に記してみようと思う。 栄養系ではなく身体操作系の話だ。 さっそく具体的に起こった現象をいうと「腕が勝手に動く(挙がる)」である。 「なに?霊的な話?スピ?」 と思うだろうが、そういう話でもない。 スピ系ではなく身体操作系の話だ。 いつもの腕を挙げる神経を使っていないのに自動的に挙がる、という感じ。 これは「そんなオモシロ体験をしよう」と狙ったものではなく あれこれやってく中でたまたま見つけた。 健康の話なんかと違って、す
山道を歩くと、歩き方が整う。 久々に山歩きをして改めて実感した。 もちろん山道といっても舗装路のことではない。より自然に近い「登山道」のようなものの話である。 あまり酷いレベルではないのだが、私は左足の踵に痛みが出ることがある。 おそらく足底筋膜炎というやつで、最近も舗装路を走ると少し痛みが発生したりしていた。 とはいえこの痛みに対する対処法として「体幹のねじれ」を見つけていて、左腰をより前に振り出すような感じで歩けば問題が出にくいことに気づいてはいた。 平地だと
レジスタントスターチとは日本語で『難消化性デンプン』という通り、消化されにくいデンプンのことであり食物繊維のような働きをする成分だ。 このレジスタントスターチは、加熱したデンプンを冷ますことでその量を増すものであり 低GIで血糖コントロールによく、腸内環境改善によいことなどが知られている。
ミニマリストと聞くとどうしてこんなに「ケッ」という気分になるのだろう。 僕のこのミニマリストに対するちょっとした不快感は、いったいどこに起因するのか。 この note で突き詰めてみようと思う。
メンタリストDaigo氏はよく「僕はひたすら本を読めればそれで幸せ」とおっしゃっている。 かつての僕も自分の幸福について考えた末にまさにそう思い至り、実際にそんな生活をし、そして幸せであった。 しかしこの数年で明らかに様子が変わってきたのである。
メメントモリ。『死を想え』みたいな言葉である。 僕なりのメメントについてちょっと書いてみようと思う。 そんな大層な話ではない。
「戦闘モード」と「穏やかモード」と、とりあえずは名付けてみよう。 先日、ちょっと激しめの精神状態の浮き沈みがあった。 結果としてパワー系のモードと、穏やかモードを比較的短時間に往復することになり、そのスピードによっていい「観察」をすることができた。 ここで強めで切れない「戦闘モード」に入ってしまった原因は「カフェインの取りすぎ+低血糖ぎみ」の2つが重なったことかなと分析している。 グルコ(糖質メイン食)期であり、かつライブ配信中にコーヒーをうっかり飲み干してしまった(
「あなたは自由人だ」なんてよく言われる。 確かに人生を振り返ってみると、おおむね「その時に自分がやりたいことをただやっている」みたいな感じはする。 しかし実は「自由だね」とか「自由人だから」なんて言われた瞬間にはいつも、特有の違和感を感じている自分がいるのである。 そこの違和感をここで言語化してみようと思う。 実際は僕が特に自由なワケでもなく、皆さま(?)が不自由なワケでもないのだが「なぜそのように見えるのか」を分析してみた。
当noteは、コーヒーとの付き合い方に5年以上試行錯誤した私のたどり着いた「適切な距離感」の言語化である。 コーヒーが好きだけど「カフェイン離脱症状」や「慢性疲労」に悩まれている、なんて方にはきっと参考になるだろうと思う。
「ホスファチジルセリン」というサプリがある。 >> NOW Foods, 高濃度ホスファチジルセリン | iHerb とてもよく効くサプリメントだ。
真の脳トレとは「運動」である、という話をした。 その究極的な理由は、ヒトはそのように適応して進化してきたからである。 そうやって進化から考えていくと、もうひとつ。 サピエンスをサピエンスたらしめたであろう行為がある。
「なんか自分って、舐められやすい??」と感じている人に。 このnoteでお伝えしたいメッセージはひとつ。
日本版の冒頭の一文を引用しよう。
「筋トレをするとテストステロンが増える」。 テストステロンは「意欲」「モチベーション」「やる気」と呼ばれるものと深い関わりのあるホルモンだ。 出れば「やる気」に満ちてくるというわけなので、まあ「筋トレをすれば筋トレの意欲もますます出てくる」ということになる。 こういうサイクルを「ポジティブ・フィードバック」という。 よく勘違いされているのだが、ポジティブフィードバックは「良いことがますます良いことを呼ぶ」という意味ではない。
「寒冷刺激が健康に良い」という話を一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。 「真冬の乾布摩擦」であったり、「ロシア正教の神現祭における冷水浴」であったり。 かねてから人は寒冷の試練に耐えることに神秘的な意味を感じていたようである。
「稼げないことをいくらやっても仕方がない」 という考え方には一理あるだろう。