過去の作品を読み返している
私は同人誌を作って同人誌即売会で売るのが趣味だ。今までに多くの作品を本にしてきた。一次創作の小説本なので大して売れないし、むしろ赤字だが、楽しいには違いないのでやり続けている。ちなみに累計赤字額は二十数万円だ。今すぐやめたほうがいい。
本にするのはもちろん自信作ばかりだ。微妙な作品にお金をかけると、売れるのかどうかわからないという不安で嫌な気分になるので、確実に自分が好きな作品や、Webでの褒めが多い作品を本にしている。
例えば大きな賞で最終選考に残った『それがぼくらのアドレセンス』。これはかなり大長編で三百ページを優に超えるのだが、最初に刷った十部はあっという間にはけたので(おまけに感想もいくつかいただいた)、刷ってよかったなあと思う。
それから服を着たねずみの恋愛短編集でありYAの『はつかねずみの小説家』。これは若い女性や小中学生によく手に取ってもらった。表紙のポップさが受けたのかなと思うが、これは作り続けたい私のサークルの代表作だ。
ロードムービーSFの『サフラン・ノート』もよくはけた。最初と最後の爽やかさと最後の爆発力に全部の半分くらいの力を込めたからか、読後感はいいようだ。表紙はめちゃくちゃ上手な人に依頼して描いてもらったので、それも大きいだろう。
YA作品の「わたしのバーバ・ヤガー」やSF短編「Duck Egg Blue」も作ってよかったなあと思う本だ。評判がよく、読後感が爽やかなのが自分でも気に入っている。
そのようなわけで、今は『それがぼくらのアドレセンス』を読んでいる。
私は自分の作品を自分のために書いていたので、自分の作品は好きだ。元気がないときは上手く書けた部分を読み返して元気を出すくらいだ。あんまり初期の作品は、読み手の評判がよくても読むのが怖すぎるので読めないのだが、割と直近の作品なら読み返せる。
以前は自分の作品を好きだということはいけないことなのかと悩んでいたりしたのだが、それは現代の商業媒体に載せるための作品としては向いていないかもしれないが、そうでないなら何でもいいだろうと開き直るようになった。そもそも誰か顔も知らない人のために小説を書くというのは、私には向いていない。もしかしたら商業作家には向いていないかもしれないが、まだなってもいないし、書くことは相変わらず好きなのでしょうもない悩みだ。
相変わらず自分が商業作家になりたいのかよくわからない。こんなに長い期間わからないということは、別になりたいと思っていないかもしれない。一時期なろうと発奮してみたが、すぐに気力が別のほうに向かうので、やる気はないのかもしれない。
こんなスタンスの人間が賞に応募して二次選考に引っかかったりするのは、いささか迷惑なのかもしれないと思ったりもする。そもそも自律神経がイカレていて、月の半分くらいは小説も読めず書けずでへばっているので、継続的に大量に小説を書くというのは無理なのかもしれない。
そんなことを思う。でも作家のやってるYouTubeなんかは結構見て楽しんでいるので、関心はあるのだと思う。よくわからないまま四十にして惑わずが近づいてくる。
とにかく私は書きたい話を死ぬ前に書くことしかないとは思う。そして、先ほど顔も知らない人のために小説を書くのは向いていないと書いたが、誰かのために書くととても上手く書けることは知っているのである。
実は、私が書いた作品でかなり丁寧な部類の「瀬名くんちのバラ」は、同人誌即売会で「わたしのバーバ・ヤガー」と『はつかねずみの小説家』を手に取ってくれた女の子のために書いたのだ。二回来て二冊買ってくれたのだ。書かないわけにはいくまい。
コロナ禍が来て本にはできなくなったので、カクヨム等に投稿したが、届くといいなあと妄想している。我ながら気持ち悪い。でも、そんな気持ちで書くとうまく書けるとわかっている。
『それがぼくらのアドレセンス』は何か色々考えながら書いたのだが、昔なので忘れてしまった。ただ、思春期の少年少女の揺れ動く心の、その揺れ動きの苦痛や、世界なんか滅びてしまえばいいという絶望感を私も知っているので、その世代の誰かに向けようと一生懸命だったように思う。
今読むと冒頭は引き込むのにいい一枚絵となっている。これは地元の科学館で見た大きな石の中の紫水晶の塊をイメージした。その後の展開は色々な人に指摘されもしたが、冗長だったのでばっさりとカットして読みやすくなっている。それからストーリー。第一章は無理もあるが思春期の閉塞感をうまく書けていると思う。ラストの風景が無茶な部分や冗長な部分の全てを昇華する力を持っているような気がしないでもない。
二章は読んでいる途中だが、頑張って書いたんだなあと思う。描写を頑張ろうとしている。小説の手本が山尾悠子とスティーヴン・ミルハウザーなのでみっちり書きすぎている。羅列が多すぎるがこれはミルハウザーの影響。当時の意気込みをまざまざと感じる。元々競作のために書いた作品が第二章なので、気合が入っているのはむべなるかな。
本にしたくなるのもよくわかる、力のこもった作品だと思う。
などと考えながら読んだ。以前と比べたら分析的に読めるようになっている。以前は情緒的な感想しか持てなかった気がする。
商業作家になりたいのかわからないと書きはしたが、漠然とした憧れはある。エンタメなら流行に合わせたり大量に書いたり、大変なことはたくさんあるだろうが。ただ、今の調子だと、しばらく憧れでとどめておこうと思う。公募に命を懸けるにも、体の調子が悪すぎるのである。
とりあえずよぼよぼと頑張って生きていこうと思う。
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