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【メモ】『モリー先生との火曜日(ミッチ・アルボム)』
グレートギャッツビーとかそういった話の流れだったか、2022/09/10にオンライン英会話の先生に勧めてもらったから、とりあえずポチッていた。
ずいぶん積読になってしまっていたがようやく読了した。
読み終わって思うのは、愛(というと軽い気してしまうので、人にどう伝えるかは難しい。)大事だよね。
死を目の前にすると、損得なく時を共有してくれる”家族”の大切さに気付くんだな。(ちなみに死を前にすることなく気づかせてくれるのが本書。)
モリーはALSを患っている。ALSと聞いて「こんな夜更けにバナナかよ」のような話かなと思ったけど、翻訳調のせいもあるかもしれないがずいぶん違った。
”愛”が大切で、”かね”が全てではないのはわかるが、”かね”がなくても生きていけない。(この本の契約金で医療費を払ったと書いてあるし)
意固地にならずに人を許そう。自分を許そう。相手に大切だと伝えよう。そういった”愛”と”かね”のバランスが大事なのだ。
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カリキュラム
恩師の生涯最後の授業は、週に一回先生の自宅で行われた。
講義概要
モリーは死を人生最後のプロジェクトに据えた。私に学べ。
学生
夢破れてからぼくは、仕事に夢中になった。
視聴覚教室
モリーは有名なインタヴュアーの番組に出演した。
オリエンテーション
モリーとの再会。ぼくは昔のような将来のある学生ではなかった。
教室
私は今でも君のコーチだよ。
出欠確認
モリーの過ごしている時間の質が、うらやましくなった。
「多くの人が無意味な人生を抱えて歩き回っている。自分では大事なことのように思ってあれこれ忙しげに立ち働いているけれども、実は半分ねているようなものだ。まちがったものを追いかけているからそうなる。人生に意味を与える道は、人を愛すること、自分の周囲の社会のために尽くすこと、自分に目的と意味を与えてくれるものを創りだすこと」
最初の火曜日〈世界を語る〉
第二の火曜日 〈自分をあわれむこと〉
この日、モリーはみんなに実験をやってもらうと言う。ほかのクラスメートに背中を向けて立ち、相手が受け止めてくれることをあてにして、後ろへ倒れるのだ。しかしたいていの者は気後れして、ものの一〇センチも動かないうちにやめてしまう。みな照れくさそうに笑うばかり。
ところが最後に、痩せたおとなしい黒髪の女子学生ーーいつもたっぷりした白のフィッシャマンセーターを着ていた子ーーが両腕を前に組み 目を閉じ、リプトン紅茶のコマーシャルでモデルがプールにとびこむのと同じ感じで、少しもひるまず倒れかかった。
一瞬、床にどーんとぶつかるかと思った。しかし、すんでのところでパートナーが頭と肩を受け止め、ぐいっと引き起こした。
「おーっ」と叫ぶ者。手をたたく者。
モリーもようやく笑いを見せる。そして女子学生に向かって語りかける。「君は目をつぶっていたね。そこがちがっていた。目に見えるものが信じられなくて、心に感じるものを信じなければならないときがあるんだ。他人から信頼してもらうには、こちらも相手を信頼してかからねばならない――たとえ自分が暗闇の中にいようと。倒れるときでも」
第三の火曜日〈後悔について〉
視聴覚教室〈第二部〉
テレビはモリーの死ぬまでを追いかけようとしていた。
教授
母の死。貧困。九歳でモリーは、両肩に山のような重荷を感じていた。
第四の火曜日〈死について〉
「じゃ、はっきり言おう。もし君が肩に乗った小鳥の声を聞くとする。いつ何どき死んでもおかしくないことを受け入れるとする。そうすると君は、今みたいな意欲を持てなくなるんじゃないかな」
第五の火曜日〈家族について〉
第六の火曜日 〈感情について〉
教授〈第二部〉
モリーはいつもすばらしい調停者になった。
第七の火曜日〈老いの恐怖〉
第八の火曜日〈かねについて〉
これには私流の解釈があってね。 この人たちは、愛に飢えているから、ほかのもので間に合わせているんだよ。物質的なものを抱きしめて、向こうからもそうされたい。だけど、それはうまくいかない。物質的なものは愛ややさしさの代わりにはならない、友情の代わりにはならない。
かねはやさしさの代わりにはならない。権力もそう。死を目の前に控えてここに座っている私に言えることは、かねや権力をいくら持っていても、そんなものはさがし求めている感情を与えてくれはしないっていうこと。それをいちばん必要としているときにね」
第九の火曜日〈愛はつづく〉
第十の火曜日〈結婚〉
第十一の火曜日〈今日の文化〉
視聴覚教室〈第三部〉
病気で肉体はやられても、精神はやられない
第十二の火曜日〈許しについて〉
「ミッチ 二、三年前…ノーマンは死んだ・・・・・・癌で。 悲しいよ。私は会いに行かなかった。許さなかった。今、それがどんなにつらいか......」
第十三の火曜日 〈申し分のない一日〉
どうして、ぼくに会いたくないんですかねえ?
老教授はふっと息を吐いた。
「人間関係に決まった処方はないよ。 愛のあるやり方で調整しなければいけない。 当事者両方に機会を与えてね。お互い何を望んでいるか、何を必要としているか、何ができるか、どんな生活かを考え合わせて。
ビジネスの世界では、勝つために交渉する。 ほしいものを獲得するために交渉する。 君はそれに慣れすぎているかもしれないよ。愛はちがう。 愛は、自分のことと同じようにほかの人の立場を気にかけるものなんだ。
君は弟さんといっしょのすばらしい時を過ごした。それが今はなくなっている。 またもどってきてほしい。あれっきりで終わってほしくない。だけどね、人間てそういうものなんだよ。終わり、新しく生まれ、終わり、新しく生まれのくり返しさ」
ぼくはモリーの顔を見た。まるで世界じゅうの死が集まっているようだった。自分の無力をつくづく感じる。
「弟さんのところへもどる道がそのうち見つかるよ」
どうしてわかります?
「私を見つけたじゃないか」モリーはにっこり笑った。
第十四の火曜日〈さよなら〉
卒業
葬式は、火曜日だった。
むすび
人生に「手遅れ」というようなものはない。
ときどきぼくは、 老師を再発見する前の自分をふり返ってみる。その自分に話をしたい。
何を求めるべきか、どういうまちがいを避けるべきか教えたい。もっと心を開くこと 、マスメディアなどを通じて流される価値観にとらわれないこと。
愛する人が話をしているときには、聞けるのはこれが最後のつもりで注意を払うことを教えたい。
訳者あとがき
人生は対立物の引っ張り合い。どちらが勝つか? 「そりゃ愛さ、愛はいつも勝つ」多くの人は無意味な人生を抱えてあくせく動き回っている。 「人生に意味を与える道は、人を愛すること、周囲のために尽くすこと」
病気のおかげでいちばん教えられたことは? 「愛をどうやって表に出すか、どうやって受け入れるかを学んだこと」
人びとが新しいものをがつがつ買いたがるのは、「愛に飢えているから」。ほんとうの満足は「自分が人にあげられるものを提供すること」によって得られる。そして、二度三度と口から出るマントラ「互いに愛せよ。さなくば滅びあるのみ」。
自分の痛み苦しみに加えて、 なぜ人の悩みまで聞くのか、に対する答えは、「人に与えることで自分が元気になれる…...こうしてあげたいと心の底から出てくることをやる。そうすれば不満をおぼえることはない。 ......それどころか、そうすることによって、山のように多くのものが自分に返ってくる」。
モリーも言っている。「この国では一種の洗脳が行われている・・・・・・物を持つのはいいことだ、かねは多いほうがいい。…..….何もかも多いほうがいい。
それをくり返し口にし・・・・・・聞かされ...…..ほかの考えを持たなくなる」 また、「みなまちがったものに価値をおいている。物質的なものを抱きしめて、向こうからもそうされたいと思う。....…おかねを神様のように崇める。すべてこの文化の一環だ」。
この本が読む者を引きつけて離さないのは、単なるモリーの記録ではなく、著者の人生が重ね合わせられているところにある。大学ではクラスの最年少でやくざっぽさを気取り、背伸びしていた彼。 ミュージシャンになる夢破れ、おじの死で人生観が一変。 スポーツライターになってがむしゃらに働きつづけ、名声も財産も得たけれども満たされず、人生に意味を見いだしかねていた彼が、旧師に再会して毎週教えを聞くようになり、次第に目ざめていく過程 ( その後のインタビュー記事によると、ミッチは余分の仕事をすべてやめ、生活ががらりと変わったという)日本のサラリーマン、企業戦士は読んで身につまされるのではなかろうか。