見出し画像

農業とともに人の心も変わった

みなさん、こんにちは。坂ノ途中・研究員の小松光です。

前回は、化学肥料や化学農薬の使用が、日本社会のために、それなりに重要な役割をはたしてきたことをお話ししました。たとえば明治時代は、欧米列強に植民地化されないように、人口を増やす必要がありました。戦後も、増えた人口を支えないといけませんでした。そのためには、食糧増産が必要でした。

このように、近代以降、農業は社会とともに変わってきました。ですが、変わったのは、農業と社会だけではありません。私たちの心も変わりました。今日は、そういうお話です。

私たちの心は、実にいろんな面で変わったのですが、ここでは自然観に注目してみましょう。自然観はどう変わったのでしょうか? ひと言で表現するなら、私たちは、ほかの生き物に対する敬意を失ったのです。

以下、私たちの自然観の変化を見ていきます。その際、素晴らしい先導役がいます。瀬戸口明久『害虫の誕生』(ちくま新書)という本です。この本を基礎にして、私なりに調べたことを補いながら、お話ししていきましょう。

近代の農業では、害虫駆除のために農薬を使います。ですが、江戸時代には、そもそも害虫駆除という概念がありません。もちろん、田畑を荒らす虫はいました。そういう虫たちは、きっと困った存在だと思われていたことでしょう。だからといって、そういう虫を大規模に駆除してしまおうという試みは、あまり記録されていません。その背景の一部には、殺生を慎む仏教的世界観があったようです。

当時の人にとって、害虫発生というのは、「長雨」や「日照り」と同じ範疇のものだったようです。つまり、困ったことだけれど、「受け入れるほかないもの」だったわけです。

明治政府は、この感覚を変えるために、すごく努力しています。虫害が発生すると、政府は専門家をその地域に派遣して、農民に駆除をさせようとします。しかし、害虫駆除という考え方は、農民たちの世界観に合いません。当然、抵抗や反発を受けます。

そこで、政府は害虫駆除を農民に強制する法律を作ります。例えば、1896年にできた害虫駆除予防法というものがあります。この法律は、害虫駆除の命に従わないものに罰金を課し、逮捕・拘留するためのものです。実際、逮捕者数は、ピーク時には年間6000人以上にものぼったそうです。

こうした政府の動きに追従して、仏教界も「無益な殺生はいけないが、国家のためになる殺生はよい」と発言したりしています。こうして、人々の自然観が少しずつ変わっていくわけです。

とはいえ、すでに大人になってしまった人の心は、簡単には変わりません。だから、明治政府は子どもの教育に熱心です。

教育のために、『害虫駆除唱歌』というものが作られ、子どもたちはそれを歌いました。『害虫駆除唱歌』にはいろいろなものがありますが、基本的には、「皇国の発展のために、害虫をがんばって駆除しよう」という内容です。また、子どもたちに「害虫取り競争」をさせた例もあります。競争で優秀な成績を挙げた者には、賞品・賞金が与えられたそうです。

同じようなやり方で、戦後は農業地域以外でも、害虫駆除が進んでいきます。1950年代に、政府は「蚊とハエのいない生活実践運動」を始めます(途中から、地方自治体に移管)。そのときに作られた歌で、『蚊とハエのいない生活の歌』というのがあります。YouTubeにありますので、よかったら聴いてみてください。歌詞を聴いていると、蚊は「小さな悪魔」であり、ハエは「大きな悪魔」だと言っています。私も、蚊やハエは好きではないですが、「悪魔」というのはちょっと行き過ぎでは、と感じます。

とはいえ、こういう害虫駆除を通じて、私たちは安全で快適な生活を手に入れました。それは、ある点では素晴らしいことです。私も、江戸時代を美化したいわけではありません。江戸時代の虫の量は、尋常ではなかったようです。明治初期に日本を訪れた西洋人たちは、虫がとにかく多いこと、そして子どもたちの皮膚病がひどいこと、にしばしば言及しています(例えば、イザベラ・バード『日本奥地紀行』)。私も皮膚が弱いので、江戸時代に戻ったら、さぞつらいと思います。

ですが同時に、私たちが、ほかの生き物たちに対する敬意を失ったことについては、残念な気がします。人間生活に不都合のある生き物だとしても、それを簡単に撲滅してしまっていいものだろうか? 実際には生き物を殺すだろうけれど、そこに限度というものが必要なのではないか。そう思ったりします。

これは、私だけの感覚ではないかもしれません。というのも、人々の価値観は、戦後しばらくすると、変化し始めるからです。そのことはデータから見て取れます。

統計数理研究所という機関が、長年アンケート調査を行っています。その調査項目には、「自然と人間との関係」についての質問があります。その質問は、「人間が幸せに生きるために、人間は自然とどういう関係を持つべきか」というものです。回答の選択肢は3つで、それぞれ「自然に従わなければならない(以下、「従う」)」「自然を利用しなければならない」「自然を征服してゆかなければならない(以下、「征服」)」です。

「蚊とハエのいない生活実践運動」が行われていた1950年代から60年代にかけては、「征服」を選ぶ人が30%くらいいました。この割合は、その後大きく減少し、2000年以降は5%ほどになりました。一方で、「従う」を選ぶ人は1960年代に20%前後でしたが、徐々に増加して、2000年以降は50%ほどになりました。

図.人間が幸せに生きるために、人間は自然とどういう関係を持つべきか。Komatsu and Rappleye (2024)の図を改変。

このように、私たちの自然観は1960年代から2000年頃にかけて、大きく変化しています。こういう自然観の変化に対応するように、農業も変化していけるし、変化すべきではないか、と私は考えています。そして、その農業の変化の一端に有機農業が位置づけられる、というのが私の理解です。だからこそ、私は坂ノ途中という企業で働いているのです。

それにしても、1960年代から2000年頃にかけての自然観の変化には、目をみはるものがあります。1960年代から2000年頃に何が起きたのでしょうか? この話を、次回させてください。読者の方々の中には、この時代を生きた方もいらっしゃることでしょう。何か思い当たることはありますか? 次回までに考えておいていただけますとうれしいです。それでは、また。


小松 光(坂ノ途中の研究室)


\マガジンのフォローはこちら/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?