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ふたたび変化する私たちの自然観

みなさん、こんにちは。坂ノ途中・研究員の小松光です。

前回は、私たちの自然観の変化についてお話ししました(10月の記事)。私たちは、明治時代以降、ほかの生き物に対する敬意を失ってきました。この自然観の変化は、農業の変化と対応するものでした。日本の農業は、明治時代以降、化学肥料や化学農薬を多く使い、自然と共生するというより、自然をコントロールする方向に進みました(8月9月の記事)。

ですが、前回の記事の最後のところで、再び私たちの自然観が変わりつつあることもお話ししました。1960年代から2000年頃にかけて、自然をコントロールするのではなく、自然に従って生きるべきだと考える人が、増えてきました。

みなさまは、この変化を実感していらっしゃいますか? 私自身は、けっこう実感しています。当時はよくわからなかったのですが、今になって振り返ってみると、1960年代から2000年頃にかけて、社会はゆっくりと、しかし大きく変化したように思います。今日は、そのお話をさせてください。

変化の発端には、1960年代の公害問題があります。公害自体はそれ以前から存在しましたが、水俣病などの四大公害が問題化したのは1960年代です。

水俣病について、思い出してみましょう。熊本県の水俣には、チッソという会社の工場がありました。チッソは化学肥料などを作る会社です。チッソの工場は、有機水銀を含む排水を海に流していました。有機水銀は海の食物連鎖を通じて魚に濃縮され、それを食べた人が水俣病になりました。国は、水俣病がチッソの工場排水によって起きたことをなかなか認めず、被害は拡大しました。最終的に、国が水俣病の原因を認めたのは、1960年代後半です。

水俣病が示したのは、人間が自然の物質循環から外に出られない、ということです。チッソの工場が排水を海に流したとき、その排水に含まれる有機水銀が人間に再び戻ってくるとは考えていなかったはずです。つまり、人間は自然の物質循環の外にいるつもりだったはずです。ですが、そうではなかったのです。

水俣病と同型の問題に、人間はその後も直面し続けます。1960年代から70年代にかけては、大気汚染と水質汚染が深刻化します。人間自身が大気や水域に放出したものによって、人間自身が悩まされるのです。1980年代以降は、地球レベルで同じような問題が起こります。オゾン層破壊や地球温暖化です。

以上のいずれの問題も、その根源には、人間と自然の相互依存性への無関心がありました。実際には、人間は自然に影響を与えるだけでなく、自然からも影響を受けざるを得ないのです。

このことを早々に認識した日本の教育界は、すぐに動き出します。1950年代後半から1990年代にかけて、人間と自然の関係を考え直す教材を、徐々に教科書に入れていきます。今、小学校で使われている国語教科書を見てみると、人間と自然の関係について考えさせる物語がかなり載っています。例えば『ごんぎつね』(4年生)、『大造じいさんとガン』(5年生)、『海のいのち』(6年生)などです。みなさんも読んだ記憶がありますでしょうか?

『ごんぎつね』と『大造じいさんとガン』は、人間と自然の交流を描き、人間と自然は対等であることを強調しています。これらの物語では、動物が、人間と同様に感情や威厳を持つものとして描かれています。『海のいのち』は、人間と自然の相互依存性を強調しています。『海のいのち』は漁師の物語ですが、「海から必要以上の魚をいただかないこと」「海に感謝すること」が「海辺で代々暮らしていくこと」を可能にする条件として描かれています。

今では、これらの物語は教科書の定番ですが、戦後一貫して教科書に載っていたわけではありません。1950年代の最後あたりから、徐々に採録されるようになっていったのです。『ごんぎつね』は、1956年に一つの出版社の教科書に掲載され、だんだん他の出版社の教科書にも掲載されるようになりました。一方『大造じいさんとガン』は1980年に、『海のいのち』は1996年に教科書に登場します。

教科書の動きに少し遅れて、サブカルチャーも変化します。とくに私が注目するのは、スタジオジブリのアニメです。ジブリの初期の作品として、『風の谷のナウシカ』『となりのトトロ』がありますが、これらは1980年代の公開です。いずれも、人間と自然の相互依存性がテーマです。

例えば『風の谷のナウシカ』は、高度文明が崩壊した後の地球を舞台にしています。そこは、有毒ガスを出す菌類の森が広がり、そこに巨大な虫たちが生息しています。菌類の森と虫たちは人間に嫌われていますが、主人公は、菌類の森が人間の汚した大地を浄化し、虫たちはそこを守っていることに気づきます。つまり、人々は自然をやっかいなものと見ていますが、実のところ自然に支えられているのです。まさに、相互依存性です。

先月、人々の価値観が変わってきていることを、統計データで確認しました。人々の意識の重心は、自然をコントロールすることから、自然に従って生きる方向に移ってきました。その背後には、上に書いたような出来事があったのです。

こうした価値観の変化を見てみると、農業も私たちの食生活も、それに対応して変わっていけるのではないか、と感じます。農業であれば、化学肥料や化学農薬の使用量を減らしていけるとよいですし、食生活についても、旬の野菜をなるべく食べるとか、ときどき有機野菜を食べるとか、できることはいろいろあります。

と、ここまで書いてきて、だいたい言いたいことを言い尽くしたような気もするのですが、ちょっと気持ち悪い部分もあります。それは、私が「農業や食生活を変えていくのが、結局のところ人間にとって得だ」と言っている点です。つまり「農業や食生活を変えないと、あとあと資源枯渇や汚染に悩まされるから変えよう」という言い方をしています。

それはそのとおりなのですが、それだけでは私の感覚のすべてを表現できていない気がします。私はもう少し進んで「農業や食生活を変えていくのが、得なだけでなく、楽しいのではないか」と言いたいのです。その話を次回させてください。それでは、また。


小松 光(坂ノ途中の研究室)


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