映像と音楽#2|だいすきは、だいきらいだよ【銀杏BOYZ『少年少女』と Sonny Boy】
「だいすきは だいきらいだよ」
銀杏BOYZの新曲、「少年少女」の歌詞のワンフレーズです。
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今日はテレビアニメ『Sonny Boy』と、その主題歌として書き下ろしされた楽曲、銀杏BOYZの『少年少女』、それからSonny Boyの挿入歌について話していきたいと思います。
前に書いたnoteで、1本の映画とその関連音楽について話すものを「映画の音楽メモ」という名前でシリーズ化しようとしていたのですが、無理に映画縛りでなくてもいいかなとふと思い直しました。
映画音楽ももちろん素敵なんですが、ドラマやアニメや他の映像にも、もちろん音楽は流れているなあと。
そこで今回からは、広く『映像作品』に出てくる音楽について 話していくことにします。
ある映像作品と、その主題歌や挿入歌・劇伴の感想を語りつつ、雰囲気の結びつきやちょっとした考察、
そしてシンプルな「この曲・この作品よいぞ...!」という燃えたぎる思いを語る場になればいいなあと思います。
それに伴って、シリーズタイトルも『 映像と音楽 』に変更してみました。
それでは早速始めていきますね!
<参考:映像と音楽 #1| 映画『寝ても覚めても』と tofubeats >
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楽曲・銀杏BOYZ『少年少女』
私は元々、アニメ『Sonny Boy』の知識は何もなくアニメを視聴していない状態で、Spotifyの「ニューリリース」の項目に出てきた銀杏BOYZの『少年少女』を先に聴いていた。
というわけで、今回はまず、2021年7月21日リリースの楽曲「少年少女」の話からしていきたい。
(ここでは音源のみver.のYouTubeリンクを載せますが、MVもあります)
Spotifyのアプリ画面を通して、この曲がリリースされたことを知ったのは今年2021年の7月半ばのこと。なんとなく、CDジャケットに描かれた目を惹くイラストのタッチに既視感があった。
水玉の背景にショートヘアの茶髪で開襟シャツを着た女の子の絵。「BABY BABY」などが収録された『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』のジャケットも手掛けている、江口寿史さんのイラストだ。制服の女の子がジャケットイラストなんて、いかにも青春を歌う銀杏らしいなあ、位の印象を持った。
圧迫して押しつぶされそうなくらいに鋭く不器用で、等身大かつストレートな思いが叫ばれている銀杏の曲。
私は銀杏の中でも何度も聴く曲というと「夢で逢えたら」と「恋は永遠」の2曲くらいしかないし、全曲を狂うように聴いているとかではない。聴いたことない曲もかなりある。
けれど、銀杏BOYZという青春パンクバンドに熱狂的なファンが大勢いるのはなんとなく理解できる。
これだけ純粋で、素直で、泥臭くも真っ直ぐな言葉ばかり歌われていたら、ボーカルの峯田さんや 彼が書くその歌詞に共感する人たちがきっと数多くいるのだろう。
今回の曲はどのような歌詞なのだろうか。何が叫ばれて、訴えられているんだろうか。
そんなことを思いながら、再生ボタンを押す。
近未来的な、遠くから聞こえるようなシュワワワンと鳴る音が耳に入ったあとで、すぐに歌われるAメロ。
(以下、歌詞は https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/ging-nang-boyz/shounen-shoujo/ より引用)
爽やかなメロディとともに、かなり暖かい感情の歌詞が来て勝手に安心する。
続きのAメロや2番Aメロでも登場するのだが、この曲には
「ここにいてもいいから」というフレーズが繰り返される。
自分がいることが許され、肯定されている世界。存在を他人から認められるなんて、どういう状況なんだろうか。初めに流れた未来からの光のような音から、別世界的な雰囲気を想起させる。
そう、この曲の世界の中で神様は「NOWHERE=いない」のだ。
渡り廊下という言葉から学校にいる生徒が頭に浮かぶけれど、すべてを見守る神のいない場所。それでも「ここにいてもいい」という状態。
なんとも優しくて、包容力のある歌詞だ。
『君と僕の…(略)』のアルバムにある曲たちのような、俺にどうにかさせてくれ的なスタンスでは全くない。
2005年リリースのこのアルバムよりももっと、幅広い人たちに共感を得られそうだななんて考える。
この曲ではサビに入ると「少年は少女に出逢う」という歌詞が何度も出てくる。
神様がいない世界で、お互いを信じられる存在を見つけた1人の少年と、1人の少女。儚くも美しい世界観が曲の中で広がっている。
個人的にBメロは特に印象的だ。
少年と少女の2人だけの認め合った世界かと思いきや、「だいすきはだいきらいだよ」なんてフレーズがでてくるのだから。
正直、ここの部分は解釈が難しい。「だいすき」の言葉と相反するかと思われる「だいきらい」の言葉がイコール関係で繋がれている。
そのあとの「愛の意味も知らずに」というフレーズも踏まえると、
「好きだからこそ、相手の分からない部分や嫌いだと思う部分も見えてきてしまう」「でも実際、「愛」とは何かを理解したうえでの発言ではない」ということなのかな と考えられる。
気になる相手こそちょっかいをかけたり、また素っ気ない態度をとったり無関心を装うことについて「愛情の裏返し」なんて表現が使われたりするが、この曲の2人もそんな関係性なのではないだろうか。
ただし、Aメロやサビの歌詞にもあるように、この2人の間には独特な世界観が流れている。もしかするとこの曲の世界線には2人だけしかいないのかとも思われるようなフレーズもある。
そのような中で、この曲の少年少女は、手をつなぐことを「好きだから」という理由からするのではない。
愛の意味を知らない2人は、それでもこの世界で互いの存在を認め合い、一緒に生きていく意味を求め合う証かのように、手をつなぐ。
いますぐ途切れてもおかしくない、でも壊れてほしくないような2人の儚くも不思議な関係性が綺麗に描かれている、清々しい感情を与えてくれる一曲だと感じた。
この曲は気付けば、先に挙げた「夢で逢えたら」「恋は永遠」に続く自分の「個人的リピート曲」に選出されていた。
今もこのnoteを書きながら『少年少女』を聴いて気持ちを高めている。
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漂流空間で模索する『Sonny Boy』の少年たち
知らず知らずのうちに『少年少女』の曲の虜になっていた私は、何かのきっかけでこの曲が『Sonny Boy』のための書き下ろし曲であったことを知る。
アニメは普段ほとんど観ないけれど、少しだけ気になったのでアマプラで探したら、気づけば一週間足らずのうちに最終話まで見進めていた。
Sonny Boy(サニーボーイ)は、今年(2021年)の7月16日からTOKYO MXなどで地上波放映されていた全12話のテレビアニメだ。
私はこのアニメを観るまで「sonny(発音:sʌ́ni/ サニー)」という英単語を知らなかったのだけれど、(親しみを込めた呼びかけで)坊や,若造 という意味を持つらしい。
アニメタイトルは「boy」までついているので、「少年」という言葉が強調されているということだろうか。
同タイトルの1990年公開の米国映画「Sonny Boy」の邦題は「ワイルド・ボーイ」となっていることからも、少年たち、という解釈で良さそうだ。(この映画とアニメとの関連は特に無さそうです。)
製作陣はアニメの公式HPによると、アニメ「ワンパンマン」の監督・夏目真悟さんと、『サマーウォーズ』「DEATH NOTE」などを手掛けるアニメスタジオ・マッドハウス であるとのこと。そして絵の原案は、先の楽曲紹介でも名前の出てきた江口寿史さんだという。
あらすじは以下のような感じだ。
中学三年生の主人公・長良(ながら)は、「学校の漂流」という奇妙な状況に直面する。同じ学校の生徒たちと一緒に。
公式HPでも「青春SFサバイバル群像劇」というジャンルで括られているように、この話はそんな36人がどのように行動し、決断していくかが描かれている。
楳図かずおの『漂流教室』と似ている部分も多いようだが、監督自身そういったSFがもともと好きだとインタビューの中でも述べている(*)ので、そこに着想を得た可能性はかなり高い。
このアニメ、主人公は中学生の設定なのだけど、それぞれの個性というか色がすごい。こんな子いるよなあという行動や発言をする登場人物がしっかり出てきて、漂流者も36人と多いので、毎エピソードでキャラが被ることなく進んでいた印象を持った。
もちろんメインとなるキャラクターはいるし、一瞬しか出てこない人もいるので全員のことを覚えるのは大変だけれど、たくさんのキャラが渋滞しすぎていないところは個人的に良かった。
ネタバレしない程度に少しだけ話すと、このアニメで長良たちは数々の未知なる「世界」に足を踏み入れる。
その場の誰もが経験したことのない状態に出会い戸惑いながらも、「正義」を振りかざしてその場を統制することは正しいのかや、そもそも何が「正義」なのか、誰を信じて自分が行動するべきかなどを模索していく。
毎回のエピソードは正直、意味の分からないトピックも多かった(いい意味も含んでいます、ごめんなさい)。がっつり青春アニメでもなく、またロマンスのジャンルでもないので、各回の流れはふわふわしている。
野球をする流れになったり、突然ある兄弟に出会ったりと、主人公たちは色々なことに巻き込まれるのだけど、それもその「奇妙なSF現象」により生み出された状況なのかもしれない。
ただ個人的には、自分が思っていたよりそこまで退屈に感じることはなく、むしろこの不思議な空間を追体験するような気持ちで観ることができ面白かった。
登場人物から温かみのある感情がたまに見られたのがその理由かもしれない。
原作のないオリジナルの原案と脚本ということで、ストーリーに関する前情報なしに観れたのも良かった。
というかこのアニメでのことを「独特な世界」「不思議な空間」なんて言っているけれど、未知のウイルスと立ち向かいながら生活している現在の私たちだって、過去と比べたらよっぽど「独特」なのかもしれないな。
いやちょっと違うか、漂流してないし。
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内容と重なりあうエンドロールの『少年少女』
この作品で『少年少女』が流れるのは、エンディングの時だ。
「近未来的な、遠くから聞こえるようなシュワワワンと鳴る」短いAメロ前のイントロは、『Sonny Boy』の各回のラストシーンと見事にマッチする。
特にこのアニメの1話にはBGMが無く、セリフと登場人物の出す音だけで物語が進む。
視聴者もストーリーに没入させられていくなかでイントロとエンドロールが出てくる流れは秀逸で、アニメを爽やかに印象付ける。
それから曲全体のメロディも、Sonny Boy本編のどこか無機質だけれども少しずつ動きを進める主人公たちと合っていて、ずっと昔にもどこかで聴いたことあるかのような懐かしさを感じる。
このアニメ後のエンドロールで流れるこの『少年少女』は、数十分前にただの音楽鑑賞としてイヤホンから聴いていた感覚とはなぜか違う「爽快な新鮮さ」のようなものを感じて、それがどこか懐かしく思える気がするのだ。
わたし自身、アニメを観ているときは、毎回エンドロールを飛ばさず終わりまでしっかり聴いて、エピソードごとにその新鮮さと懐かしさを味わっていた。
そして、アニメへの感情移入から現実に引き戻されるような感覚。
これはもしかすると、劇中の「少年少女」同様、自分がどこか別の世界に行って、帰って来た時の感覚(実際は帰ってなかったりするんだけど)に近いのかもしれない。
また書き下ろし楽曲なだけあって、この曲は音だけでなく歌詞もアニメ本編と重なり合う部分が多い。
例えば、楽曲解説でも取り上げた サビの「手と手をつないだ」の部分。
本編では最終話一つ前の11話で、主人公の長良が別の登場人物と手をつなぐ場面が2回登場する。
「世界のはじっこ」でありながらも、少年少女たちは共に過ごし、何かモノには代えられないものを分かち合う。Sonny Boyに出てくる彼らは、この曲の歌詞にもある「きれいなひとりぼっちたち」なのかもしれない。
実際に手をつなぐ場面は物語の印象的かつラストにも関わることなので具体的に述べるのは一応控えるけれど、というかうまく言葉に形容できないのだけれど、この2つのシーンはすごく、美しい。
とにかくこの『少年少女』の歌詞が示すことはアニメの内容を示唆する部分も多くて、そのことにじわじわと気づくと、アニメ自体と、それから主題歌の楽曲両方を楽しむことができるのだと思う。
ちなみに、エンドロールに出てくる峯田和伸さんのクレジット、最終回のエンドロールだけ「主題歌」ではなく「出演」のところに入っているんですよね。楽曲もアニメに参加するスタイル、すごく素敵だったなと思います。
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BGMのないアニメに、花を添える挿入曲
最後に『Sonny Boy』に出てくる挿入歌にも触れておきたい。
このアニメでは、BGM音楽が流れることは多くない。各回につき1回だけ、特別なシーンになると、「視聴者に印象を与えよう」と意気込むかのごとく挿入歌が流れてくる。(https://ja.wikipedia.org/wiki/Sonny_Boy#%E6%A5%BD%E6%9B%B2 )
話のキーとなる場面のなかで主人公たちの心情や動きに合った楽曲が流れると、感情移入がすごくできる。
そのなかでも、第10話に流れたカネヨリマサル提供の『今日の歌』と、第11話に流れたザ・なつやすみバンド提供の『Lightship』の2曲は、個人的に特に耳に良く残っている。
『今日の歌』はSonny Boyの挿入歌としては唯一の、アップテンポなロックミュージックだ。
挿入歌としてアニメのなかで聴いていると、「この状況でこの曲調なの?」という驚きが正直あったのだけれど、アニメを観てから聴き返してみると、歌詞は特にアニメ本編とも関連する部分が多く感じられる。
あと、単純に私はこの曲がすごく好きだ。イントロのギターが段々大きくなっていくところでの高揚感や、曲全体での登場人物の心の迷いを音で示すかのようなベースの音など(1番2番で少し違うのがまたいい...!)、メロディですごく「魅せてくる」曲だなあと思う。
『Lightship』は、11話序盤の、ストーリーの中でも特に感情的な場面で流れる。
アニメではLightshipが流れるなかで、登場人物の2人(長良と瑞穂)がある出来事をきっかけに寂しさを心の奥に感じつつ、それでも前を向いて進んでいくようすが描かれる。バックで演奏される軽やかな音とともに柔らかい歌声を聴いていると、それまでのアニメの展開を登場人物たちと一緒に思い出して少しだけ切なくなる。
主題歌の『少年少女』もそうだけれど、Sonny Boyに出てくる音楽は、「切なさ」を色んな方法で引き出しているような気がする。
それぞれ曲調、曲のジャンル、歌声は違うけれど、明るくも寂しく、胸を締め付けられるような「切ない」感情を私個人としては持った気がする。
ただこの感情は、どこか懐かしく、何らかの形で大切にしたいとも思えるものだ。
大好きなフジファブリックの歌詞に寄せるつもりはなかったけど、秋の夕方5時のチャイムの時間頃に聴きたくなる、そんな曲たちが沢山のサントラになっていると思う。
ちなみにSpotifyには、楽曲提供者によるオリジナルコメントが入ったサウンドトラックのリストがある。このプレイリスト、AWAとかApple Musicにもあるのかな?それぞれのコメントを含めて聴くのがとっても楽しいです。
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ここまで長々と書いてきたのだけれど、読んで頂けた方いるのでしょうか?(笑)
あくまでも個人の解釈ですし、このアニメ自体、考察して楽しめるタイプの作品だろうなと素直に感じています。私も考察だけ書くnoteとかいつか書いてみたいけど、言葉にするまでになかなか時間がかかりそうな気がする…。
つらつら言ってきましたが、楽曲もアニメも、また聴き、観なおしてみようかなと思える作品です。
もしまだの方で興味があれば是非是非聴いたり観てみてくださいね。
◆
<さいごに、今日紹介した楽曲と映像作品について>
・始めの所がオカルト的(?)なMV
「少年少女」/銀杏BOYZ
・ほかの曲もこれから聴いていきたい、ガールズバンド
今日の歌/カネヨリマサル
・すごく、すごく綺麗で切ないシーンでの曲
Lightship/ザ・なつやすみバンド
Sonny Boy -サニーボーイ-
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