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倉庫でのバイトで小学生の休み時間を感じた

情けないことに、驚くほどに日銭がない。ので、アルバイトをいくつか探している。
当面の分がすぐに欲しかったため日払い可能なものをすでに見つけて週に何度か入っている。それが倉庫でのバイトである。

具体的な仕事内容はというと、とにかく荷物の数字を見て仕分ける。
それだけ。
「あなたは○番台担当ね」とコンベアの横に立つよう指示を受け、運ばれてくるモノの伝票を見て○番台であれば横のレーンに引っ張っていく。
それがだいたい5時間とか続く。健康な人からすれば大した時間じゃないのかもしれないけど、体力ないからね……。

人間性を求められず、黙って部品のようにいられる仕事を探していたのでまさにピッタリだと思っていたし、5時間動きもせず立ちっぱなしという体力的な問題を除けば実際何も考えなくてよいので気楽なのは確かだ。

ただし荷物がこれまたものすごい速さで回ってくるのだ。
ぼーっとしていると川魚のごとく下流に泳ぎ去って取りこぼしてしまう。
うっかりコンタクトを忘れるともう、ホームから電車を見る小さい子みたいにコンベアに顔を近づけ、キッと睨みつけながら首を動かしてひとつひとつ検めていくしかない。
おそらくその人相は例えるなら仁王像や不動明王。自分の顔つきが顔つき(丸顔で、ふくふくしている)のため、迫力があって怖いというよりはちょっと愛嬌や可笑しみもある感じにできあがっております。たぶんだけど。


不思議なもので、何時間もやっていると集中が切れる反面、「ゾーン」に入ったような感覚に陥る瞬間がある。

一瞬一瞬が長く、脳がみずみずしく働き、そのとき目に入れるべき情報が的確に目に入る。伴って身体が動くべきように動く。
長時間立ちっぱなしの作業で溜まってきていたはずの疲労の存在を忘れ、心身すべての連携が取れている。
調和とはこれかと身体で感じる。心地よく、瞬く間に時間が過ぎていく。

子どもの頃の休み時間によく似ている。
20分そこらしかない時間で熱中していたあの感覚を、当時とは程遠い蛍光灯の生白い光とコンベアの無機質な轟音の中で、誰とも知らない初対面の人の隣で味わうのである。

『コンビニ人間』だ! と思った。
自分の心身がコンビニのために最適化され、コンビニの声が聞こえる古倉と私はその瞬間同一化していた。私はそのとき確かに古倉だった。

「目ぇ悪い?」

ふと目線を上げると社員さんが苦笑いしていた。ちゃきちゃき動き回る、いかにも関西のお姉さんという感じの人だ。
私が毎度顔を動かして荷物を見るから気にかかったらしい。

「そうですね、今日裸眼で」
「じゃ仕方ない! 諦めよ」

作業に戻る。ちらっと壁の時計を見ると十数分くらいしか経っていなかった。
先ほどの感覚は雲散霧消してしまって、ふたたび退屈で忙しない労働が始まる。
またコンタクト買わなきゃな、お腹空いた、終わったら何食べようか、などと暇をつぶすために適当な考え事をしながら、疲れた足首を回した。ただ金のための労働はめんどくさい。


『コンビニ人間』の感想も記事にしております。


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