日記「電話の現在地」
家庭に置いてある電話のことを固定電話というが、固定電話といつから言うようになったのだろうか。最初は単に「電話」とだけ呼ばれていたに違いないのだからな。
明らかに携帯電話の対義語として存在している言葉ではある。いえ電とも言うが同じコンセプトの言葉だ。
「固定電話」……じっとみているとごつくて四角い電話がコンクリートの壁にボルトで打ち付けられている様が思い浮かぶ。ダイヤルもなく、特定の場所としか繋がらない、多分闇の拷問施設とかにある電話だ。それが固定電話。
そもそも「固定電話」という字面自体が闇の隠語っぽいではないか。身動きが取れない系の恐ろしい何かだ。
「電気椅子」「市中引廻」に近い、無害な単語+無害な単語の醸す不気味さがある。
「黒電話」、お前もそうだ。
もう紫鏡や赤マント青マントの友達にしか見えない。
東京都XX区のXX公園にある公衆電話は一見普通の公衆電話。しかし夕方のチャイムが鳴っている間に、その電話に向かって恨みに思う人の名前を告げる(そのとき決して後ろを振り返らないでください)。すると、その相手は一週間後に不幸な目に……。
もし黒電話の呪いにかかった人は、自分の家から一番近い電話ボックスに行って「白いカラス」「白いカラス」「白いカラス」と3回唱えないといけません。(黒電話に宿るサラリーマンの霊は生前「カラス」というあだ名でいじめられていたため、ギョッとして逃げ出すという説があります)
電話にはこの手の多量の言葉のバリエーションがあるが、それだけ「電話」と言う言葉で浮かぶイメージの中心が移ろってきたということだろう。
「黒電話」と言う時、人は「電話」本体のイメージから「黒電話」を分けるために使う。
「固定電話」と言う言葉が発明されたときも、人々の「電話」のイメージの中心はもう、携帯電話に移っていただろう。
「固定電話」も「黒電話」も、電話の抜け殻なのだ。
今、電話という言葉のイメージの中心はどこにあるのだろうか。順当に考えるとスマホだと思うけど、スマホの中の電話機能ってもう実質的には、コンパスとかと同列の、便利機能の一種くらいの存在感かもしれない。
メールやメッセージアプリ、ネット通話に押されて、相当小さくなってしまっているだろう。電話にまつわるさまざまな文化はとても縮小しているし、これからもすると思うけど、いつの間にか電話本体すら小さく見えなくなっていた、ということだってあり得るかもしれない。
通話ボタンの赤地に白抜きの受話器アイコンを見ながら思っていた。
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