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後輩たちへ ―上野千鶴子先生の祝辞から

これもなんとなく遅きに失した感じがあるでしょうか。
上野千鶴子先生の今年の東大入学式での祝辞の話。

あちこちでいろんな議論が飛び交って、当事者である新入生の中には「もういいよ」と思ってる人も少なくないかもしれませんね。

でもまだ10日も経ってないんです。

遅いインターネット」なんてのもその界隈では話題になってたりしますが、「4月2週目の出来事」として過去のものにしてしまうのには惜しい、大事な話だと思うので、もう少しだけ大人に場外乱闘させてほしいと思います。

大丈夫、できれば希望を与える話にしたいと思って書いていますから。

とりあえず公式の全文はこちらから。
平成31年度 東京大学学部入学式 祝辞


タイトルとこの記事の体裁を「後輩たちへ」宛てたものとしたのは、何を隠そう、僕が東大の出身者であるからで。

社会学の所属だったので上野先生がまだぎりぎり「現役」で、講義形式でしたが授業を受けたこともあります。

今回の祝辞にみられたような「ケンカスタイル」はかつてからの彼女の作法で、挑発的な表現に不快感を覚える人が一定数いるというのもお馴染みの風景でもあって、僕なんかは「先生お元気そうで何よりだなあ」とどこかほっこりするくらいの懐かしみすら感じたりするくらい。

もちろんこのスタイルについても功罪あって、それだけで長い話が書けるくらいの論点ではあるのだけれど、今日は措いときます。
形式よりも内容の話をさせてください。


恵まれた環境で育った東大卒男性として

僕自身の話を少しだけ。

まず確認として、僕自身が、先生の話の中で槍玉にあげられていた、男性であり、「がんばったら報われる」と思える恵まれた環境で育った人間であるということ、これは間違いありません。

地元がド田舎すぎて大手の予備校もなく、地元の高校からも東大生が出るような土壌はまったくありませんでしたが、その分、学校の先生たちが本当に手厚く指導してくれ、結果的に塾にも行かず家庭教師もつけずに東大に合格できたことは、かえって本当に恵まれた環境だったと思います。

家庭は決して裕福ではなく全国水準で言えばたぶん中の下くらいでしたが、やりたいことは応援し、やめたいことも認め、兄も姉も大学に進学させた、僕なんかよりよほど人間のよくできた両親に育てられ、これも本当に恵まれた環境でした。

そんな僕ですが、上野先生の話に「説教された」とか「責められた」とかいったような感想をもったかというと、実際はまったく逆で、割と感動といって差し支えないくらい、ポジティブに響くものがありました。


それはたぶん、「恵まれないひとびと」に出会ってきたから。

僕は、大学の同級生たちの多くがそうであるように「正規ルート」でいけば「就活して新卒で入った会社/組織で正規職員10年目」くらいになるはずの30代ですが、就活も大学3年の秋にはやめて1年間休学して、その後NPOやいろんな会社で(正社員も含めて)いろんな雇用形態で働いて、半年くらいは子育てしながら主夫もして、いま現在は5つの仕事を掛け持ちする非正規労働者です。


いろんな人に出会ってきました。

父親がアルコール依存・母親が精神疾患・兄が軽度知的障害という、生活保護家庭の子どもの訪問支援を数年に渡ってやったこともあります。
発達が「定型」よりもいびつで、保育園や幼稚園での生活にうまくなじめない子どもたちの発達支援をやっていたこともあります。

2010年前後に「ワーキングプア」という言葉が生まれたころ、僕自身も日雇い労働者として働いていたこともありますが、そのなかで、料理人だったが腰を悪くして仕事を辞めなければならず、その後「まともな」仕事につけず長くこの生活を続けているという中年男性にも出会いました。

いずれにおいても、そこにある困難は「自己責任」とはいえない事態です。

それらの出会いと経験を通じて、僕は自分自身がいかに恵まれた環境に(現在も含めて)あったのか、そしてそれがいかに偶然で、運がよかった結果だったのかを自覚し、不条理にも環境に恵まれなかった人たちの力になりたいと、実感を伴って思うようになりました。

だから、上野先生の次のような言葉には、控えめに言っても強く共感するのです。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。


たくさんの物語を

だから上野先生は言い方は厳しいけどやっぱり正しいんだよと、そんなことを言いたいんじゃありません。

ここからは、東大新入生のみなさんを「未知との出会いによろこびを感じる」知的好奇心の持ち主「と信じて」の提案です。
この前提が当てはまらなければ元も子もありませんが、あれだけの勉強時間を乗り越えるみなさんですから、大きくは外していないと信じます。


その提案とは、
たくさんの人に出会い、たくさんの物語を集めてください
というものです。


凡庸なことばです。
でも実践するのは実はそれほど簡単ではありません。

これまでも同級生や先生、予備校の仲間など、たくさんの人に出会ってきたと思います。
しかしその人たちの「物語」を、どれほど知っているでしょうか。

どんな家族で、どんなことに悩み、どんなことを夢見ながら、どんなふうに現実と折り合いをつけて、いまその生活を生きているか。

親でさえそうかもしれません。
むしろ親はなおさら聴いたことない、ともいえるかもしれませんが。


この、人の物語というのは、未知との遭遇の連続です。

自分の想像もしたことのない喜びや悲しみや迷いの、リアルなドキュメントが次々と飛び出します。

高校のときの生物担当の女性教師は「男をとるかDNAの螺旋構造をとるかで悩み、私はDNAに恋をした」と語っていました。
おもしろすぎます。
ー結婚か研究かを選ばなければいけない状況自体のおかしさに僕が気づくのはだいぶ後になってからですが。

人の物語には、世界は広いと思わせてくれるのに十分なインパクトがあります。

世話になった塾の先生や、いま目の前で授業をやってる大学の先生、サークルのOB、バイト先の店長、パートさん、フリーターの先輩、好きなアーティストのファン仲間、たまたまイベントで隣に座った人、などなど。

想像してみてください、生活は未知の物語にあふれています。


踏み込んで話を聴くのにいくらかの心理的コストは必要ですが、海外旅行の経済的コストよりは割安です。

なんなら出会うのは本であってもかまいません。

歴史上の偉人についても、いま活躍中の経営者や起業家についても、子育てに奮闘する母親・父親についても、性犯罪被害者についても、震災の被災者についても、マニアックな店をやってる楽しげな人についても、もちろん学を究めるために人生を捧げた人についても、同じ本屋に同じような価格で売っています。

ぜひ出会ってください。


僕がこのことを強調するのは、実は同世代の東大出身男性と今回の上野先生の祝辞について話をする機会があり、ちょっと切ない気持ちになったからです。

とても優秀な彼なのですが、都心の進学校出身で先に述べた「正規ルート」を生き、今も世間からはエリートと呼ばれて然るべき生き方をしている彼との議論の中で、均質性の高い集団のなかで生きてきたがゆえの他者への想像力の乏しさを察知してしまったのでした。

それについて本人も悩んでいるとても誠実な人だ、ということはすぐに付け加えなければいけませんが。

「夢を叶える」も「弱者に寄り添う」も、お題目だけでは意味がないことはみなさん百も承知だと思いますが、それをお題目に終わらせず、いくらかでも具体化するための1つの方法が、人の物語ではないかと僕は思うのです。


さまざまな、できるだけさまざまな生い立ちや立場の人に出会い、その物語を集めること。

それはみなさんの人生の選択肢を増やすと思います。

実際の決断のときに重みをもつのはやっぱり直接会って話を聴いた人の物語だとは思いますが、本で読んだものからでも身につけた「他にありえたかもしれない人生」への想像力は、きっとその後のアイディアにつながります。


「そんな不条理なことが許されていていいのか」と思う物語に出会うこともきっとあるでしょう。

そのときに、その不条理がゆえに「恵まれない環境」に置かれた人たちの力になってほしいというのが僕の個人的な願いではありますが、それはあくまで僕の願いです。
そこまでは求めません。
求めたいけど。

「どうしてこんなことが起こるのか…?」
の解明の方に興味がむくなら学問が手助けになるはずで、

それは牧村朝子さんの記事がとても参考になりますが、

学問をするための教育学習環境は上野先生が「私が請け合います」と言ってくれています。
そういう力の使い方も東大生ならではだと思います。

しかしどうか大学に閉じこもったりせず、外に出かけてください。


どうかたくさんの人に出会い、たくさんの物語を集めてください。


みなさんの前途洋洋たる未来に、波風と発見と希望の多きことを祈って、先輩からのメッセージを終わります。


#日々のこと #雑感 #東大 #上野千鶴子 #牧村朝子

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