舞鶴市【京都府】
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この後の話になります。
帰りに舞鶴市へ寄りました。
福井県高浜町のすぐお隣り、舞鶴市は県境の街です。
私が生まれ育った漁村は岡山と兵庫の県境。。
そして
奈良県にあるイオンモール高の原は店内に京都と奈良の県境がある事は有名。
県境マニアには激アツなスポット?であるっ。
話が飛びましたが‥
舞鶴市も沢山の観光スポットがあります。
が、
帰りの高速ICからあまり離れていないところで周ることに。
殆ど下調べなしで行きましたが‥
とりあえず舞鶴赤れんがパークへ。
ちなみに舞鶴市はファミレスの『トマト&オニオン』の
第1号店がありますね。
駐車場がよく分からず、舞鶴市役所の駐車場にて。
ここに停めて良いのかどうか分からなかったので
この撮影だけで終了。
また機会があればじっくり来たいと思います。
サイトを見たらパーキング結構ありました(-"-)
ここまで見んとあかんね。
続いて‥
舞鶴引揚記念館へ。
この資料館は
第二次世界大戦の終結後、軍人と民間人をあわせ660万人以上といわれる日本人が海外に残されていました。
この人たちの速やかな帰国を実現するため国の事業として、
軍港だった舞鶴をはじめ、浦賀、呉、下関、博多、佐世保、鹿児島、横浜、仙崎、門司を引揚港に指定。
このうち舞鶴は昭和25年以降は、国内唯一の引揚港として昭和33年9月7日最終船まで、実に13年間にわたり、約66万人の引揚者と1万6269柱の遺骨を受け入れました。
また、捕虜となりシベリアで抑留された方の多くは重労働や寒さ、
飢えなど筆舌に尽くしがたい苦労の末、舞鶴に引き揚げられています。
引揚記念館に展示している資料には、
引揚者を温かく迎えようと当時の舞鶴市長から市民向けに呼びかけた回覧文があります。
歓迎や慰問、差し入れなど町ぐるみで迎えた市民の姿に、舞鶴から全国へ帰宅された引揚者から後々まで感謝の言葉が寄せられました。
こういったところです。
復元された引き揚げ港へ行ってみることに。
「岸壁の母」の歌とともに引き揚げのまちとして知られる舞鶴。
終戦以来、主に旧満洲や朝鮮半島、
シベリアからの66万余人の引揚者と1
万6千余柱の遺骨を迎え入れた終戦と平和の象徴的スポットです。
その歴史を残そうと平成6年に復元されたのが
この平引揚桟橋(たいらひきあげさんばし)です。
写真は岸壁で帰りを待つ女性と子供たちを撮影した当時の写真です。
敦賀のミュージアムといい戦争の話ばっかだったような感じになりました。
ホント色々と考えさせられる事はたくさんありました。
ミュージアムの記事でも書きましたが
こしたこういった資料館で悲しい出来事を後世に伝えても
戦争は無くなりません。
本当に悲しい事ですね。
いつもありがとうございます。
ではまた。