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家紋を守る為に命をかけた人々。

「丸に井桁三」と言えば、皆様もご存知の三井グループのロゴマークだ。

三井の象徴でもある「丸に井桁三(文字)」は、三井越後屋の店章として家祖三井高利が定めたもの。図案は高利の母、殊法の夢想に由来するともいわれる。

江戸時代の豪商といえば、やはり呉服商から始まった老舗が多い。
三井高利も「三井越後屋呉服店」を成功させ財を成して、三井財閥の基礎を築き上げた。

そして、このマークは350年以上の長い年月を経て、近代の三井各社のシンボルマークとして引き継がれていったが、昭和24年(1949)にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から商標の使用禁止命令を受ける。敗戦後、GHQが占領計画の一環として日本の財閥解体を実施した。

財閥の資金が日本軍の「日本軍国主義を制度的に支援した」との認識がGHQにはあったからだ。
これは、1945年以降、行われたGHQの占領政策『日本弱体化計画』の1つだった。実質の財閥解体と同時に、財閥商号・商標の使用禁止令も発令している。

三井グループのロゴマーク

しかし、三井グループ各社はすぐさまそれに抵抗すべく、あらゆる手段を使って、商号・商標の護持運動を活発に展開していった。
これはある意味命懸けの戦いだった。
無条件降伏した敗戦国の一企業が戦勝国の命令に背いたのだ。

では、三井の人々は、そこまでしてなぜ家紋を守ろうとしたのか?

家紋を元に作られたマークは、日本人の誇りと哲学の象徴であり、創業者の理念が込められたシンボルなのだ。
そして、社員達には「創業者の理念を引き継ぎ老舗の暖簾を守る」という熱い思いを共有するためのシンボルでもある。、
三井の社員達にはなくてはならない「シンボルマーク」だったのだ。
さらに、それは日本がこれから復興するためにも、どうしても必要なシンボルマークでもあった。
このように、敗戦国の企業でありながら、創業者の理念を守り抜いたのは他の企業も同様で、その結果、家紋の旗印の下に戦後の混乱を乗り越え、信じられないスピードで焼け野原の日本を復興させたのだった。

しかも、ただ復興させたのではなく、一時はアメリカを脅かす経済大国になって蘇ったのだから・・・・・世界中から奇跡の国と呼ばれた。

マネージメントの父と称される経済学者のピーター・ドラッカーは、「こんな奇跡が起こせるのは世界中に日本人しかいない」と断言している。

家紋が、そのような奇跡的な戦後の復興の精神的支柱になっていたのは間違いないだろう。

まさに日本人は、日本という老舗の暖簾を守り、復活させたのだから。

『たかが家紋、されど家紋』ということだ。


感動価値の作り方講座 講師
成願義夫

https://www.jogan-kimono-design-school.com/


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成願 義夫(ジョウガン ヨシオ)
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