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『さみしい夜にはペンを持て』を読んで

こんにちは♪

元キャリアコンサルタントの
さかもとさとみです。

今日は、『嫌われる勇気』の著者がかいた
“書く”ことについての本を読んでの感想です。

“書く”事の奥深さを描いた、
タコジローとおじさんが登場する小説。


“書く”と“話す”は、似ている。


人の話を聴くこと仕事としてきて思うのは、
そして学生時代からずっと手帳に日々思うことを書き連ねてきて思うのは、

人に“話す”こと“書く”ことを通じて得られることは実はとても多いということ。

↓読みながら、「ほんとそう!」と思った一節

ぼくは自分に話せるぜんぶを、おじさんにしゃべった。しゃべっているあいだは苦しかったし、頭もぐちゃぐちゃだった。だけど、しゃべり終えてすこし落ち着いたいま、ぼくはスッキリしている。

「…おじさんはね、こんなふうに思うんだ。だれかに話すとスッキリする。それは頭のなかを大掃除するような気持ちよさじゃないかって」

〈どうしてしゃべるとスッキリするんだろう?〉より


この本にもあるように、話して&書いて現実が変わる、「問題解決」するわけではないけれど

話したり書いたりすると(もう少し厳密には、“深いところ”までたどり着くと)

自分の中で何をしたらよいかがハッキリ見えたり、すっきりと腹落ちしたりする。💡

だから結果として、気持ちの整理がついて“今向かうべき”問題の所在が明らかになったり、気づけば問題解決のために一歩踏み出せていたりする。

そんなことを日々実感します。


↓ここも、深く頷いた一節。

自分の思いをことばにする。そのことばを聞いて、なるほど自分はこう思っていたのかと納得する。
自分の発したことばで、自分を知る。だからこそ、実のあるおしゃべりはスリリングでおもしろい

〈書いて自分と対話する〉より

だからきっと私は、人の話を聴く(話す)ことが好きだったり、noteや手帳に“書く”ことを通じてアウトプットしつづけてるんだなぁと。

私にとって、

書くことで自分を知り、知ったことを日々に活かす…ということを繰り返すことが、

自分の日々の楽しみでもあり快感なのだと思います。👀🖋


“書く”と“話す”の、ちがい

一方で、書くことと話す事の違いについて、
たしかに!と思ったこと。↓

「…『考え』のともなわないおしゃべりは、いくらでもありえる。一方、『考え』のともなわない文章はありえない」

「書くときのぼくたちは『手を動かすこと』が面倒くさいんじゃない。『頭を動かすこと』が面倒くさいんだ。なにかを書くためには、それについて真剣に考えなきゃいけない。その『考える』という手間を、みんな面倒に感じているんだ。書くことは、考えることだからね」

〈「書く」と「話す」はどこが違う?〉より

そうそう、私がnoteを書く理由として
考えるために書いているみたいな節はあるなと。

話すことで考えがまとまることもあるけれど、考えたいタイミングでいつも適切な話し相手がいるわけではないから、

書くことで、言葉にすることで、
考えて頭の中を整理している(&すっきり次に進めるようにしている)
のだと腑に落ちました。


おわりに


話を聴くことがどうして好きなのか?

最初は少し億劫ながらも、
どうして何かしら書き続けようとするのか?

すごくしっくりする、
自分にとっての発見がありました。

↓発見をくれた、一節

「…忘れるってさ、とってもいいことなんだ。ぼくたちは、前を向いて進んでいく。あたらしい出来事を受け止めて、あたらしい記憶で心を埋めて、古い記憶を消していく。景色は流れ、記憶も流れていく。それが前に進むってことなんだからね」

〈「書くもの」だった日記が「読むもの」になる日〉より


言われてみれば(読んでみれば)、

頭の中のことを言葉にするのは、“忘れる”ために、忘れて“前へ進む”ためなのかもしれない…!


言葉にすることで、(ネガティブ・ポジティブ問わず)出来事や考えや感情に一区切りつけることができる。

そして、一区切りつけて、気持ち的にも前を向いて次へ進める

そうした一連の流れを経験をすること、自分にとって何にも代え難い“学び”や“気づき”をえること自体が、好きだし快感に感じる👀

だからこそ、聴くこと(目の前の人が話をしながら自己整理していくこと)や書くことが好きなんだろうなぁ☺️💓


そんな発見を得ることができた、一冊でした♪


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