死を身近に感じた話
こんにちは!さかもとです。
タイトルについてですが、生き方・人生・キャリアについて考える話です。(死んだらどうしよう、、、といった暗めの内容では無いです)
「3年後の自分が今の自分に声をかけるとしたら、何て声をかけると思いますか?」
これは、将来どうしたいのか分からないという相談にくる学生さんに、よく問いかける質問です。この問いを投げかけると、学生さん自身も、思わぬ答えが自分の口から出てきてびっくり&スッキリされることが多い気がします。
「死ぬ時に、どんな人生だったと思っていたいですか?自分のお葬式で、誰にどんな言葉をかけて欲しいですか?」
これは前職で、自分の使命(というより大事にしたい価値観・指針)について考えるという研修を受けた時に、投げかけられた問いです。自分が本当に大事にしたいことが何かが、当時の自分なりに浮き彫りになる感覚があったのを覚えています。
未来のある一時点から、今をながめてみる
このように、ある未来の一時点から今の自分をながめてみると、潜在的に考えていることに気づきやすくなるということは、過去の自分の経験から実感していたことでした。
なので私は時折、自分が大切にしたいことが何なのかを見失いそうになったとき「死ぬ時に、どんな人生だったと思っていたいか?」を自分に問いかけるようにしていました。
でもそこでは、まだ死を迎えるということにリアリティがなく実感がなかったために、問いに対する答え・願望もぼんやりとしたものでした。
それが昨日ふと夫との会話のなかで、「直近5年間ってあっという間だったけど、5年てあと20回も経験できないんだね。あと5年を12回経験したらもう80代なのか」…という話をしました。
すると何だか急に、死が身近に感じられたのです。
死・人生の終わりを身近に感じた訳
このご時世なので、コロナのこともあって前より何となく死というものが身近な気はします。
でも昨日のふとした会話での死というのは、来るか来ないか分からないというものではなくて、確実にやってくるものという実感を伴ったものでした。絶対に避けられない、必ず訪れるもの、というリアリティがあったんです。
なぜかを考えてみました。
まず漠然と80年後ををイメージしようとすると、経験したこともない長い年月の先のことなんてイメージしきれない、、、そんな状態になります。
でも5年という歳月は、自分でも経験したことがありイメージの沸く期間です。なので、漠然と80年後を考えるよりも、5年で分解した方が「この年月を、あと○○回繰り返すのが人生なのか(○○回しか繰り返せないのか)」と期間のイメージを沸かせやすくなるのだと思います。
「この経験を、人生であと何回繰り返せるだろうか?」
昨日の気づきから思うのは、死や人生について、もしくは遠い先の未来について考えるときには、このように問いかけるとより実感が湧くのではないかということです。
少なくとも私は、この問いを自分に投げかけることで願望がより具体化する気がしています。
おわりに:1日1日を大切にする
前に記事でも少し書きましたが、子育てをしていると本当に1年という時間の速さや大きさを実感します。
まだ子育てが始まってからは半年ほどですが、半年という歳月をあともう一度繰り返すとわが子は1歳になり、10回繰り返せば5歳、20回繰り返せば10歳、40回繰り返したらもうハタチになってしまいます。
そう考えると、半年の重みを再認識することができて、更には1日1日を大切にしようと思えました。
今日記事に書いたことも、ほぼ同じことだと思います。自分のまだ経験したことのない長いスパンであるということは、違いますが。
今日の記事で私が伝えたかったことが何かと考えてみると、終わりを意識すると、今というこの瞬間がより大切に思えてくるということなのかもしれません。
今の時期、色々不安になることもあるかもしれません。でもそんな時だからこそ、起きるか分からない何かに怯えるのではなくて、今という確かな瞬間を大事に生きていきたい。
そんなことを思った昨日でした。
それでは、また!