pink、少女はワニを手に入れる
岡崎京子の漫画作品のなかで一位、二位を争うほど印象的だったのが『pink』だ。
主人公は都会で暮らすOLのユミ。自宅で巨大なワニを飼っていて、飼育費用を捻出するためにホテトル嬢としても働いている。
ユミは嫌な客に嫌悪感を抱きはしても、性風俗でお金を稼ぐこと自体には抵抗を感じていない。昼の仕事だけでは足りず、身体を売った方が手っ取り早いからそうしている。
働いたぶんペットを養える。好きなものを好きなだけ買える。欲しいものができた時、我慢しなくて良い日々はユミにとってストレスフリーだった。
ことを済ませた客に自分を大切にしろと説教されても、行きずりで出会い恋に落ちた大学生のハルヲに「どうして水商売を続けるのか」と問われてもユミは気に留めなかった。
彼らはユミがホテトル嬢を辞めたとしても、その後の生活を支えてくれるわけではない。ただ、倫理的に間違っていると指摘したいだけだ。
ユミはペットのワニと理想的な状態に仕上げた自分の部屋が大好きだった。何よりもそれを保つことが最優先していた。
けれど、頻繁に遊びに来る腹違いの妹ケイコと共にハルヲと仲を深めていた矢先に水道が詰まり、部屋は水浸しで使用できない状態になってしまう。
ワニ以外のほぼ全てを失った挙句、追い出されたユミだが、継母と仲が悪く実家に帰る選択肢はない。ハルヲの下宿先に転がり込み、生活を立て直す。
OLとしての給料日では間に合わないから、ホテトル嬢として大忙しで働く。あっという間に化粧品や衣服を買い直すユミにハルヲは苦い顔をしつつも何も言えない。
こう書くとハルヲはマトモな人間のように見えるかもしれないが違う。なにかと緩かった時代背景もあるのだろうが、彼もまた善良とは呼べない人物だ。ユミの継母の愛人として金を受け取りつつ、同じ大学生の女性とも関係をもっていた。
女性がユミの部屋に乗り込んできて、ワニに気付かれた際には証拠隠滅として詳細不明(アルコール?)の注射を施した。
そして小説家志望としながらも自力では納得のいく文章が考えつかず、既に刊行されている本のページを切り刻んで組み合わせ、自分の作品として小説賞に応募した。その作品はどういうわけか受賞し、多額の賞金が約束される。
「まごうことなき盗作では?」という思いに駆られるし、受賞取消の展開を当然のごとく予想する。しかし話の本筋はそこではない。
このツギハギ小説の完成間もなく、ユミのペットのワニが行方不明になってしまう。
長年の心の支えを失ったユミは精神的に不安定になり、鬱やパニック障害に似た症状を引き起こす。
小説の賞金で南の島への旅行を提案され、嬉しい報せに調子を取り戻していったが、ある日見知らぬ荷物が届く。
それはワニ革で作られたトランク。ベルト。カバン。ハルヲからのプレゼントかと思いきや、添えられた手紙には「生きた姿ではご一緒できませんが、姿を変えてお供したく思います」とあった。
ユミにハルヲを奪われたと勘づいた継母が娘のケイコの行き先を調べてユミの居場所を見つけ出し、ワニを加工業者に引き渡してしまったのだった。
ユミにとって最も大切な存在だと理解した上で奪ったのだ。
全てを悟ったユミは激昂し、自宅で継母に暴力を振るう。ケイコの制止がなければ命を奪っていたかもしれない。気落ちしたユミはハルヲの部屋へ引き返す。
そして、ひとり静かに考える。
ワニのままでは決して外へは連れ出せなかった。命を失いトランクになった今ならば、どこへでも行ける。それは決して悪い状態ではない気がする、と。
ユミがその結論を出した時、小さなタラレバが生じる。
もしかしたら継母が手を下さずとも、ワニが死んだ時、ユミはペット斎場には連れて行かずワニを物品に加工するのではないだろうか。
ユミにとってワニはただの愛玩動物ではなくスリルとサスペンスの象徴であり、何があっても決して失われてはならないものだった。
有限の命ではなく、かつてそれだった物という概念に作り替え、永遠に傍らに置くことに成功したのだ。
ラストシーン。
ワニのトランクを得たユミは完全に元の調子に戻り、全ての仕事を退職し、空港で南の島に出発するのを夢見る。
だが、ハルヲは待ち合わせ先に向かう途中で記者に捕まり、振り払おうとして車の事故にあう。
おそらく生きてはいない。彼とバカンスに行きたいというユミの願いは叶わず、客観的にはおそらく悲劇として捉えられる。
けれど、ユミはワニのトランクを手に入れている。
ハルヲの死を知れば落ち込み、深く悲しむかもしれないが、ワニを失った時ほどの絶望は覚えないのではないかと思う。
トランクは食事も排泄もしない。ホテトル嬢として働かずとも、他の仕事で自分一人分の生活費を捻出できれば暮らしていける。
なんだかんだ彼女はハルヲを後追いするでもなく、トランクと共にのらりくらり生きていく気がする。そんな、いびつなしたたかさを感じた。