学問の成果と通説
学問的成果に基づいて、ビジネスや日常の場で示唆として使われる例はよく見られる。ただこうした中には、よく考えてみると誤解だったり、後の研究で否定されているものがある。
しかし示唆がキャッチーだったりすると、そのまま浸透する。そして実は違うことが共有されず、通説として生き残っている。そうした例をいくつか挙げてみる。
アイヒマンと悪の陳腐さ
概要:アドルフ・アイヒマン(1906-1962)はナチス・ドイツにおけるゲシュタポのユダヤ人移送局長官。ユダヤ人虐殺の場となった強制収容所への移送を指揮した。1961年にイスラエルでアイヒマンの裁判があった際、政治哲学者ハンナ・アレントが傍聴し『エルサレムのアイヒマン』にまとめている。そこでアレントは、アイヒマンがことさら反ユダヤ感情を持たない凡庸な人間で、ただ単に組織の歯車として命令に従っていただけの人間と評した。本人が思想を持たなくとも(むしろ持たないがゆえに)、命令に従うだけで悪事に加担する。悪事の大半は、こうした凡庸な人間が行うものだ。
示唆:組織が悪事を行っていると、無批判な人間はそれに加担することになる。何が正しいか自分の軸を持て。
実際は:ベッティーナ・シュタングネトの詳細な研究により、アイヒマンは無思想の凡庸な人間ではなく、ゴリゴリの反ユダヤ主義者だったことが明らかにされている。単に組織の方向が自分の考えと一致していたから、歯車として動いて良かったのだ。そして裁判では組織の歯車として動かされていたということで情状酌量を誘おうとしていた。アレントは見事に騙されたわけだ。
マシュマロ実験
概要:子供におやつとしてマシュマロを与える。ただし、食べるのを15分待てれば、もう一つあげるとする。この実験で、待ってもう一つもらった子供のほうが、成人後の収入が高く経済的に成功していた。
示唆:目の前の欲望に負けずに、その後どうなるかを考えて行動できる人が成功する。
実際は:その後の実験で、成人後に経済的に成功していた子供は、親の収入が高いことが分かった。つまり、親が高収入で、日頃マシュマロなんかよりもっとよいおやつをもらっているのでマシュマロには大して興味がなく、待つことは容易だった。そして親が高収入なら、教育への投資ができたり、収入の高い職業への道を知っていたりして、子供も高収入となる。
ファースト・ペンギン
概要:陸上にいるペンギンの群れが海に餌を取りに行くとき、真っ先に海に飛び込むペンギンがいる。このペンギンをファースト・ペンギンと言う。ファースト・ペンギンはリスクを恐れず、組織において率先して行動する。ファースト・ペンギンは道を切り拓き、群れはその後に続く。
示唆:リスクを恐れず、率先して行動し他人をリードする存在たれ。小池都知事が使ったことで有名。
実際は:ペンギンの観察研究によれば、最初に飛び込む確率の高い個体がいるわけではない。群れが海に飛び込む過程を観察すると、むしろ群れの中の方から、そろそろ海に行こうという動きが始まり、結果としてもっとも海に近いところにいた個体を押し出す。つまり、ファースト・ペンギンはむしろラスト・ペンギンである。
メラビアンの法則
概要:コミュニケーションにおいては、見た目、しぐさ、表情、視線といった視覚情報や、声の大きさや速さなどの聴覚情報が重要。そこで9割は決まる。話している内容ではなく、見た目でコミュニケーションの成否は左右される。
示唆:見た目、話し方に気をつけよう。新人研修でよくある話。
実際は:では相手の知らない言語などでコミュニケーションしてみればいい。どんなに視覚情報、聴覚情報を気をつけたところで、おそらく1割も伝わらない。メラビアンの法則は、楽しそうに悲しい話をするなど、視覚情報・聴覚情報・言語情報の間に矛盾があるという非日常的なコミュニケーションにおいて、人が何を手がかりに判断するかを示しているだけだ。
ピアノと地頭
概要:ピアノを長く習っている子は、頭も良い。実際、東大生にはピアノの上手な人が多く、東大ピアノの会は音大顔負けである。
示唆:ピアノで手先を動かしていると脳が活性化され、頭も良くなる。
実際は:ピアノを継続的に習うだけのお金を払える家庭は高収入であり、塾や予備校など教育費も多く払える。
監獄実験
概要:1971年スタンフォード大学にて、大学生をそれぞれ看守役、受刑者役に割り振って、模擬的な監獄を作った。すると、看守役の被験者は看守になりきり、受刑者に苛烈な行為を行うようになった。これにより受刑者役の一人は精神を錯乱した。
示唆:立場が人を作る。もともとそうした素質がなくとも、置かれた立場により人はその立場で必要とされる人間になっていく。
実際は:捏造実験。看守役はどう振る舞うべきか指示されていた。受刑者役は錯乱したふりをした。
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