適応障害患者はそうでなかった日の夢を見るか
どうも。
曽根崎榊と申します。
朝晩の空気が冴える季節になってきましたね。私はこの時期のきんとした外の空気がとても好きです。あんまり強く吸い込むと乾燥と冷たさで鼻粘膜を痛めてしまうのが惜しいのですが。
10月から適応障害の診断を受けまして、仕事を休んでおりました。社会人2年目です。
職場の人、家族、友人、その他多くの人に励まされ支えられました。
みんな私の判断を間違ってないと、辛さを口にできて偉いと肯定してくださいますが私はどうやっても自分自身が情けなくて不甲斐なくて仕方がありません。へへ。このきらいが適応障害たる所以なのでしょう。こればっかりはどうにもなりませんね。
今は幾分マシにはなったのですが、未だ希死念慮は消えていません。マシ、というのも正確には「希死念慮が薄れた」という訳ではなく「表面化しないようにできるようになった」という事なのですが。
表面化、自殺のことです。
さすがに未遂まではしませんでしたが、恥ずかしながらSNSでそういった旨の内容は沢山吐露していました。診断をいただく少し前のことです。
それをしていたから精神科に行くきっかけが出来、休職の判断もできたのですが。心配し声をかけてくださったフォロワーさんには頭が上がりません。
命の恩人とも、私はそう思っております。
未遂はなかった。なかったでしょうか。
マンションに住んでいます。家事は苦手で、でも出来ることをと洗濯は私が率先してやるようにはしていました(と言いつつ、適応障害による軽度うつで休職中動けるのとそうでない日は五分五分でしたが)。
幾度となく目の前の柵を乗り越えた先のことを考えました。私にはそこに手を触れて下を覗き込むほどの後押しがなかったから。今こうして居れるのかなと思ってます。
日中はそこまで死にたいとは感じませんでした。人と会話した後は気分がそこまで落ちることはなく、その時間帯は家族との会話があるので元気にやれていました。
夜に幾度となく首をくくることを考えました。そのための手頃な道具と場所が見つからないから実行までしませんでした。
妹の机のデスクランプのコードくらいでした。それもランプの部分の強度が頼りなくて、使えないなと思いました。
できるかなと、紐の強度を確かめました。二段ベッドの2段目の、手すりの高さと私の身長を比べました。そこまで考えました。それを考えてしまう自分が嫌で沢山泣きました。何も死ぬ理由も、何も無いのにそこまで考えてしまう自分が情けなくて、恥ずかしくて、励ましてくれたみんなに示しがつかなくて、死にたくてたまりませんでした。
そんな晩が何度かあって、何も出来ずに眠ることしか出来ませんでした。
自殺未遂はなかったでしょうか。ひとはそう言うでしょうか。
私は少なくとも、あの泣いて明かした夜、指先はそれにしかと触れていたと感じています。
希死念慮自体は適応障害になる前からずっとかすかに抱いていたと思います。中学時代にいじめられてた頃とか、高校大学で進路に悩んだ時とか、バイト先で家で外出先で、些細なことで死にたいな〜と思うことは、てんてんとですがありました。
それでも実際に死んでやろうとは思うことはなくて、なんだかんだ精神が丈夫なのかそういったストレスから来る体調不良だったり、自傷行為はせず今まで生きて来れました。自分でも心は強い方だと、苦境を乗り越えたこともあってそう思えていたくらいでした。
その時期のかすかな死にたさを覚えているから、今私の抱いている希死念慮がそれとは違うことをひどく痛感してしまうのです。つよくつよく、ふと気を抜いてしまえばずうっと飲み込まれてしまうような死にたさは、それまで感じたことはありませんでした。
いくとこまでいってしまったのだなと、なんとなくですが確かに理解してしまったのです。
家族にも精神科の先生にも言えません。というより言いたくない。言ったところで、死ぬより他解決方法なぞないでしょう。別に解決したいとも思いませんので誰も相談しませんでした。
言ったところで思うのです。家族は、友人はきっと私ほど希死念慮を感じたことがないだろうと。
私の決めつけにはなってしまいますが、今の私の価値観では出ない言葉が彼らからは出るのです。自殺に否定的な、そうなるまで黙っていた当事者に疑問を抱く声が。私はそうなってしまった気持ちがもう理解できるようになってしまった。そうなるまで黙っていたんじゃなく、彼らはいつ死んでもおかしくないところにずっと前から居て、ただ少しの後押しがあったから死ねたのだとわかってしまった。
明後日には仕事に戻ります。先に書いた通り、適応障害は完治していません。
睡眠障害が残っており、今もこうして夜眠れず文字を打ち込んでいる訳です。
睡眠障害に関しては社会人の生活に戻れば勝手に戻ると思ってます。そもそも休職前は仕事に疲れ果てて気絶するように眠れていたので。
希死念慮も消えません。もう二度と消えないのだと思います。
正直、休職すればその前から抱くようになっていた死にたさが無くなるのだと信じていました。少なくともいじめられていた中学時代とか、明るくない未来に途方に暮れていた高校時代とかに感じていた程度には柔いものになるのだと信じていました。
ついぞ、それは欠片も弱らず私の傍らに今も寄り添っています。
なんだかこのまま、最初の出勤の時に線路に飛び出してしまうんじゃないかと。
そう考えるほどには死への想いをつよくふかく感じています。
私をこの世に繋ぎ止めてるものはなんでしょうか。意外と沢山思い浮かびます。きっとそこは大丈夫。
なにかきっかけ。
些細なことでその全部が必要なくなって、その時に自分は自分で死んでしまう気がするのです。
誰に止められたいとか、心配されたいとかはありません。解決も求めていません。
ただ同じ想いをしてる方にこれが伝わればと思いました。
少なからず、同じ想いをしている人が世界に居ると知った私が楽になったので。
皆様がこれからも健やかに過ごせますように。
お読み頂きありがとうございました。
曽根崎榊でした。