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コロナ禍で起きた情シスとしての価値観の変化

コロナ禍で自分の価値観が変わっていくのを感じており、そのことを書いてみる。

地元に気持ちが帰っていく

在宅勤務が多くなると「お昼どうしよう?」が最初にぶち当たる課題だった。会社には食堂があって、それがあたりまえになっていたので。在宅勤務は家からほとんど出なくなるので、気分転換も兼ねて、近所のごはん屋さんを散策した。そしたら、近所に良い感じのうどん屋さんを発見。店長も私と同じ年くらいで、脱サラしてうどん屋さんを始めたらしく、いろいろ話も盛り上がり、常連入りとなった。在宅勤務期間での最大の成果(笑)。

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食事の他にも、散歩したり自転車で走ったり、とにかく地元で時間を過ごすことが急に増えた。地元に気持ちが帰っていく感覚。

地元、自分の家、自分の部屋、そして自分の家族。Stay At Homeをしなければならない状況になったのだけど、なぜだか気持ちがそれほど窮屈ではない。むしろ、穏やかになっていくような感じ。家族と過ごす時間への考え方や、どこにどんなふうに住むのが良いのかという自分の嗜好やライフスタイルが短期間で大きく変化した。(過去に持っていた)都会で働くこと、都会で暮らすこと、便利で(経済的に)豊かであることへの憧れ。そういう価値観が自分の中で随分と変化した。

働き方が多様化したほうが(自分は)性能が出る

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私はコロナ前からどの場所にいても仕事ができるリモートワークの環境を持っていたので、在宅勤務という条件に対する環境の変化は無かった。ただ、今回は会社が在宅勤務を強制したので、誰に遠慮することなく在宅勤務を選びやすかった。

仕事への結果は出せていたし、誰かに迷惑をかけることもなく、良いことしかない。しいていえば、仕事をやりすぎる時があることくらい。

リモートワークという働き方は全く問題は無いし、むしろ、今の時代にはそれが可能なインフラが随分前から揃っていた。それなのに(会社が、社会が)それをフル活用できていなかった、ということが表面化した。

生産性を意識して働ける人にとっては「時間」と「場所」の裁量を個人に与えたほうが生産性が高まるのは間違いない。そこは実践で確信したし、自分でもこの働き方を中長期で試せたことは本当に良かったと思う。ただ、今の雇用契約や会社の業務のやり方において、個人に「時間」「場所」の裁量を与えられない会社は多数あるとも思う。社会全体に刺激を与えて、何十年も変わらなかったものが今動き始めているのかもしれないし、そうなることを期待したい。

自分がこの先、どこでどう働くか、という選択肢がコロナ禍の影響で拡張された気がしている。「愛知県に住んでいるのだから勤務地の条件は愛知県内」という常識が変わるとしたら、それは本当に素晴らしい変化だ。

結局、一番大きく変わったのは価値観の変化

最近、自社の情シス内でwithコロナの働き方の話を少しした。やはり「(今までに比べて)何が足りないか、足りないものを足していこう」という発想の人が多くいた。本当にそうだろうか。価値観が変わらない場合、そういう発想になるのかなとも思った。価値観が変わらなければ、その上の仕事感も、業務を改革するべき新しいアイデアも浮かばないだろう。

口では「ニューノーマル」とか言っているのに、発想が過去の状態への積み上げになっており、それは新しくもなんともない。そもそも、今までの社会が正常で最高だったと私は全く思っていない。

情シスが社内に果たす役割は何なのか。「ITで、事業部門を支えること」ではないか。それが今までも100%できていたと言い切れるのか。

「今までもできていたこと」と「今までもできていなかったこと」があったはず。その中で、働く環境が分散したことで、より要求が上がった機能の性能を上げることが求められるのだろう。

つまり、働く環境は多様化しても、「ITで、事業部門を支えること」を実現するのが情シスのミッションであり、あるべき姿を(過去にとらわれずに)今こそ知恵を絞って考えるべき時。

そんなふうに考えた4連休のとある一日だった。

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新しい自転車、最高。ただ走るだけで、気分が上がる。

以上。

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