【那須】 北温泉再び(二)湯治場の自炊とり鍋
宇都宮から一時間半。
車は那須の山奥へ。
九尾の狐・玉藻前さまがおわす殺生石を通り過ぎ、さらにその奥へ。
3月でも、峠を少し越えただけで、いきなり雪景色へと変じる。
駐車場へ降り立ち、自分達の荷物の他に、自宅から持ってきた鍋を手に、あるいは保冷ボックスを持ち、または途中のスーパーで調達した、夜のお楽しみセット(お酒、お菓子、つまみ……などなど)をぶらさげ、まだ固い雪が残る山道を歩く。
徒歩5分。
やがて姿をあらわす、懐かしき北温泉。
相変わらず、ひなびている。
秘湯としてのオーラを、静かに放っている。
その建物は、降り煙る霧雨の中で、眠るように来訪者を待ち構えていた。
数えてみたら、北温泉に宿泊するのは4度目だ。
ここはまだまだ肌寒い季節で、玄関先の薪ストーブへ薪が放り込まれる。
猫は相変わらず、下に温泉が流れているせいで温かいコンクリート床に陣取っている。
いつも愛用している『明治時代の部屋』は……、
「ちょっと、寒いかも」
判断ミスだったかもしれない。
夏場なら、この明治時代の部屋は新緑が鮮やかで、景色もよい。
が、まだ寒い時期はむしろ、奥まった方にある江戸時代の部屋の方がよかったかもしれない。
そこなら、床下に湯の流れがある場所に近い分だけ、ちょっと温かい。
予想通り、Cさんは北温泉をいたく気に入ってくれた。
アメニティ類が期待できない環境で、むしろそれを大いに楽しんでいる。
建物が全体的に古いがゆえの不便さも、そこに面白みを見出せる。
河原の湯で、眼下の渓流を眺めながら喋くりたおし、宿の中を探検するかのように散策し……。
時はきた。
我らの鶏鍋、いざ出陣。
北温泉の炊事場は、想像を超えて充実していた。
「や、これなら材料さえ持ってけば、何でも作れる!」
古来、湯治場は長期逗留を前提としていて、だから湯治客は食材を持ち込んだ上で滞在していたそうだが、この北温泉はまさにその歴史を残しているのだ。
しかも、ちゃんと進化していて、設備は現代そのもの。
シンクがある。ガスコンロも5台くらい並んでいる。
壁にはフライパンがずらりとぶら下がってい、何なら食事用に食器類まで積み重なっている。
炊飯器も複数スタンバイ。
調味料までそろっている。
油、塩、砂糖、だしの素など基本調味料はもちろん、ポン酢、オイスターソース、焼肉のタレ。
ただこの時、醤油はなかった。需要がありすぎて切らしているのか。
あるいは……湯治客が持ち込んだものを、不要になったから置き土産にしていったものが、ずらり並んでいるのかもしれない。
この炊事場には、謎のコインロッカーのようなものが、ででんと鎮座している。
たぶん、食材を入れておくためのものなんだろうけれど、鍵がついていないので開けようもない。
さて、と。
わたし達は持参した鍋(具材入り)をキッチンへ置いて、まな板と包丁を拝借すると、まだ凍っている鶏肉を切っては入れて、その隣でCさんは豆腐を切る係。
家で調合した鍋用の汁をどばどば注ぎ、これに水を適量くわえて、いざガス台へ。
他にも自炊中のお客さんがいて、老夫婦が、
「やっぱり、作るとなると鍋系になりますね」
「ですよねー」
笑顔で会話する。
◯
「出来たぜよ!」
謎のエセ土佐弁で部屋へ戻るや、こたつの中央に鍋をどどんと置いて、普通のおたまと穴あきおたまを突っ込み、これまた家から持参した小皿へめいめい分ける。
窓の外は、とっぷり暮れゆく藍色の空。
湯の香りが、ほのかに漂うこの空間で、楽しくおしゃべりしつつ同じ鍋をつつく。
楽しい。
やがて具材がほぼ無くなったところで、
「いざ、温泉鍋大会、第二章の開幕!」
立ち上がると、うどんの玉を6袋を手に取り、再び炊事場へ。
今度は年配の男性がそこにいて、フライパンですき焼き的な何かを作っているところだった。
まるごといれた、でっかい椎茸に野趣があって、いかにも美味しそう。
そんなわたしの視線に、
「どうだい、男のざっくりした料理って感じでしょう?」
「いや、美味しそうですね!」
すき焼きならではの、甘い香りがふんわり辺りを支配している。
その年配男性のおかげで、あのコインロッカー的なものの正体が判明した。
「これね、受付で希望すると鍵を渡してくれるんですよ。で、こうやって開けると……ほら、冷蔵庫」
なんと、コインロッカー型の冷蔵庫だった。
いや、湯治場の炊事施設、進化しすぎだよ!
たぶんこの年配男性、何度も北温泉で自炊してきた手練の常連客に違いない。
その後、うどん6玉は、すべてまるっと3人の胃袋へ吸い込まれていった。