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これをどう生かしていくか。




(独り言。
少しだけ長文になるかも。)

気持ち慌ただしく、
しかしそうだから日常に
良い意味で追われて
ずっと続く悲しみを紛らわす
事に繋がる"メリット"を受け取りながら、「期間中」にお心遣いいただいた方々に会えば悲しくなり取り乱すかもと、会わず連絡せずのまま今日に至る。

そろそろ、
(そもそもPCメールを
見てくださるか
分からないけれど)
秋頃までにメッセージを送る、
何がしかのお返しをするなど対処も始めようと思う今年は、
またもや初盆。

次女の体がなくなって
一年と5ヶ月。

社会との接点を絶やすわけにもいかないので、仕事として、
社会参加する一般人として
服装と同じで目の前の方への
おもてなしとして笑っているように楽しんでいるように見せている、それが社会参加では大切な事だから。

そうすると、
楽しそうですね、
お元気になられて良かった、
と帰ってくる。

中にはあの日から半年後、
復帰戦で精一杯元気よく
明るく進行するステージを見て、「どうやってあんな悲しみを
乗り越えられたのかその秘訣を教えてください」と言われ、悲しさを通り越して愕然とした
(あぁ、こんなにも気持ちが分からないのが、他人様で他人事なんだ)こともあった。

毎日、そこらかしこに
引き金は点在する。

火が消えゆくところなんて、
かなしくて悲しくて、
今夜も咽び泣いてしまう。

でもね、
そこをそう
見せないくらいでないと、
周りも
言葉のかけようもないし、
付き合いようもないんだよね、
きっと。

だから、
元気に普通に軽やかに
振る舞う名俳優になりきる。

これは、
そうして生きていく事で
ある意味で、
楽しいから笑うのではなく、
笑うから「楽しそう」な雰囲気になっていける…わけで、
そう選択を
自分でしていく事が、
被害者でなく主体的に生き、
誰も悪者にしない
一日一日を(やっとだけれど)
通過(乗り越えるではない)
させていく、
生きていくための知恵
なんだと思う。

なった人にしか、
分からない。


ある意味ではだから
子供をなくした
経営者の気持ちは分かるし、
素人のように共感しすぎて
一緒に落ち込むような事はなく、本当に共にこれから
どう生きていこうかという生涯のcoachには成り得るだろう。

僕は、
相手を一つの命として観るし、
関わる。

その人にはその人なりの
経緯や事情がある。

一側面だけを見て
決めつけない。

人には言えない色々が
あるのが、人間だしその方が
人間らしい。

だから、おたがいさま。


対等なのだ、
coachと
coachingをうけるひとは。

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