変わるデザイン、変わらないデザイン
変わるために走る、変わらないために歩く
2023年が終わり、2024年へ。
数字が変わっていく忙しさを感じながら、デザインにおける「変化」の話。プロダクトライフサイクルに合わせて、デザインが変わっていく商品もある反面、デザインが変わらない商品もある。いわゆる「ロングライフデザイン」と呼ばれる名作は、誕生から変わることのない価値を提供し続けている。
環境変化にあわせたスピーディなモノづくりも大事ですが、持続性が問われる今、ロングライフデザインへの関心が強まっていることも事実。僕は「ロングライフデザイン」を「普遍的な哲学を持っているもの」と捉えていますが、存在価値としての源泉が強ければ時代の流れに合わせてアレンジを加えても揺らがないはず。
もし、それが音楽なら、
名曲は何十年、年通りにも、カバーされながら愛され続ける。ハードにアレンジされても、音源として部分的に使われても原型を感じる。
もし、それが映画なら、
優れたIPはあらゆる監督からもリスペクトされ、世界が広がる。ストーリーの骨子が変わっても、オリジナルが上書きはされない。
すなわち、ロングライフデザインは長生きを称えるものではなく、長く残すべきアートとも言える。そこにはメッセージがある。言いたいことがあり続けるから長く生き残りづける。
レジェンドは妄想から生まれている
お菓子を例にしてみましょう。
コンビニの棚には新商品と肩を並べて昭和生まれのレジェンドお菓子たちが並んでいる。『きのこの山』『ルマンド』『チップスター』『ポテロング』『ポッキー』『パイの実』『ハッピーターン』『アルフォート』・・どれにも“らしさ”がある。“らしさ”すなわち”コンセプトの図太さ”。データじゃなくて「だったらいいな」のアートの世界。
「やさしさを持って哀愁や自然を「きのこ」で表現した」→きのこの山
「景気回復を願って「ハッピー」をネームに入れてみた」→ハッピーターン
「パンができる「夢のような木」に見えた」→パイの実
「大きなお菓子の世界へ漕ぎ出す「船」に夢とロマンを込めた」→アルフォート
どれも、とってもポエティック。
定量データから生活者のウォンツを叶えるデザインも魅力的ですが、作り手の想いを高く掲げてそこにみんなの想いを重ね合わせることは、もっと大事。
ここで僕が伝えたいことは、“クリエイターはもっと自分に素直な作品も作ったって良いじゃないか”ということです。
「どうしたら?」から「どうしたい!」へ。
テクノロジーを活用して市場分析や生産効率からデザインすることも有用ですが、自分以外の他者の思考に身を預けて浸ってみることは非常に人間らしくて贅沢な感覚。人は人を認識して喜ぶコミュニケーションの生物。それぞれの違いが発信されるから、それぞれに魅了される。
みんなの欲しいものを形にしたら、みんなが欲しいと思うものになるのでしょうか。みんなの欲しいものは時とともに変わるものであり、みんなに欲しいと思わせる作り手の想いは変えられるものではないはず。
何でも入りは、何にも刻まれない。
料理店にも同じことが言えるでしょう。
「何でも作ります!」よりも「こんな味はいかが?」と提案してくるお店に強い関心を持つ。評価も当然高く人も集まる。「記憶に残る幕内弁当などない」とは誰かの言葉ですが、何でも入りは、何にも刻まれない。メッセージを削った無味無臭な味が記憶に刻まれることはない。
大事なのは個性ではなくメッセージ。
料理を支える器に目を向けてみる。「民藝」はいわばアノニマス。個ではない。しかし、全でもない。民藝は多くの人や時間によって鍛えられ削がれ必要だけで構成されている。
すなわち、言いたいことに集中している。
選んだ道を正解にしていく
主張があるもの、記憶にのこるもの。変わらないものは言葉化しやすいもの。それを「ロングライフデザイン」と呼ぶのではないでしょうか。長く生き残りたいから波風起こさず静かな方が良いというのは違うのではないでしょうか。
「何が正解か?」「何であれば生き残るのか?」と既存のフロンティアを探し回るのではなく、「メッセージしたいことを正解にしていく」自ら創作する行動の結果として、普遍的な哲学を持った長く残すべきデザイン、いわゆる「ロングライフデザイン」は、そこから生まれるのだと考えています。