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眠れない夜の過ごし方
眠り方を忘れてしまうことがある。
心配事は脳の容量を支配する。
明日の仕事がたまらなく嫌だったり、
今日の退屈さに辟易していたり、
好きな人から返信が来なくて、やり場のない気持ちが、寝室ではないどこかへ行ってしまってこのまま永遠と1人ぼっちのように感じてしまったりして。
夜に飲み込まれそうな気持ちになる。いっそ本当に飲み込まれてしまった方が、じわじわと不安に蝕まれなくていいから楽などではないかと思う。
今日みたいなそんな夜は寝ることを諦めて、クッキーでも焼くことにする。
寝たフリをして朝を待つには夜は長過ぎるし、浅い眠りは後味の悪い夢の温床になる。
そうと決まったならパジャマのままベッドから出て、冷蔵庫を見てバターと卵、それから小麦粉があることを確認する。
夕食から時間が経って、なんだか誰からも使い方を忘れられてしまったかのような静かなキッチンに、深夜2時にしては明るすぎる蛍光灯の灯りがつく。深呼吸をして酸素が身体中に行き渡る時みたいに、キッチンの空気がわたしの味方になる。
オーブンをあらかじめ予熱する。
少しずつ赤外線がキッチンの空気ごと暖めていくと、芯から体が冷えてしまった時のお風呂みたいに、心までほぐれて柔らかくなる。
常温に戻したバターを砂糖とクリーム状になるまで練り、卵黄を入れてバニラエッセンスを2振り。小麦粉を振るって入れてさっくり混ぜてひとまとめに。
棒状に形を整えグラニュー糖をまぶしたら1センチくらいに切る。そして予熱したオーブンで15分ほど焼けば完成だ。
一連の作業の間、わたしはわたしでいなくていい。
どこか遠い国の、広い庭にヤギと羊が、家には暖炉に当たる無愛想なネコがいて、ロッキングチェアに揺られながら孫のハンカチに刺繍でイニシャルを綴る上品なおばあさんになることができる。
朝8時に起きて死んだ目で仕事に向かいコンビニの弁当と缶ビールを摂取して生きながらえるわたしでいなくていい。
紅茶を入れて、焼き上がったクッキーを数枚かじると、わたしの全てを飲み込んでしまいそうだった勢いの夜が、少しずつ淡くなっていく。
ベッドの中で消えてしまいそうになるほどの憂鬱が、あっけらかんと不格好な焼き立てのクッキーに変わっている。
何事もこんなことで解決したり良い方向に向かうわけではないが、なんだか眠たくなってくる。
もうそこまで朝が来ていて、数時間後にはいつもより眠い目を擦りながら仕事に向かう。
そしたら1日が終わって夜が来て、いつもよりぐっすり眠れるはず。
もしまたわたしを飲み込んでしまいそうな夜が襲ってきたら、クッキーを焼く。
すこしの間遠い国のおばあさんになって、
夜の出口を探す。