母が作ってくれる妹と同じ服の特別な意味。
母は豆腐屋を手伝う前に3年間洋裁学校に通っていました。
暇な時には、私たち姉妹を呼んで巻き尺で体のサイズを測り、新聞紙で型紙を作って生地屋に行き、生地を買ってきては、型紙に合わせて生地を裁断し、ミシンであっという間に洋服を作る魔法のような存在でした。
なぜかいつも妹とおそろいの服を作っていて、生地を分けるのが面倒だと母は言っていました。作る洋服はいつもワンピースで、ハイソックスを履き、ミーナという漫画が描かれたズックを履いていました。
妹がその服を着ると、必ず私も同じ服を着るようにしていました。
母が入院していた時、命の危機が何度も訪れました。
そのたびに川田さんのおばちゃんや高畑のおばちゃんが私たちを学校に迎えに来てくれました。二人とも同じセリフを口にして、
「同じ服を着た〇年生・〇年生の〇〇の家の者ですが、実母の病院に連れて行きたいので迎えに来ました」と言っていました。
迎えに来るたびに、必ず同じ服を着ていました。
母の病室で同じ服を着た私たちを見て、
母は「この前作ってあげた服、お姉さんの方が肩が少し曲がってできちゃったね。退院したら直さないとね」と笑っていました。
その後、母は難病を克服して元気になりましたが、それ以来洋服は作っていません。
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