2024.11 場所
2本目の記事。1本目は素直な今の寂しさに対する答えを考えてみたものだったけど、土地について考える。
自分は割と長いことこの土地に住み、時間を過ごしているけどこの場所が素直に好きになれない。
生まれ育った場所で、両親の住む土地ではあるのだけど自分が望んでその土地にいるのか?と問うと答えは多分肯定的な答え方はできないだろう。
自分は場所にこだわるというより、自分の居場所を探して過ごしてきたと思う。
長く住むと、行きたかった場所だと、と自分と土地が馴染む感じがあるのかと少し考えてみても、答えはインスピレーションだと思う。
関東、首都圏は、居心地がとてもよく自分が好きな土地だなと思う。
不関心、無愛想ながらも、一度内側に入れば温かい。
田舎という土地柄の最初は温かく、事情を知るにつれ住み分けを行うというベクトルとまるで違う土地が自分の新たな価値観を作ってくれたという意味で関東は自分の居場所のような気がしている。
ただそれ以外ではあまり住むのに心弾む土地は少ないなと思い、今暮らしている地域は、閉鎖的ながら受け止めようと似せる傾向にある土地だなと思う。
とても確信を持ってその土地固有の考え方はあるにせよ、新しいものや文化、情報で得た現代的な暮らしも知りながら自分の核の部分は変えず、その変化を受けそれをその都度形にしている。本質的には何も変わってはいない多分数十年くらいというのが印象。
首都圏は間口が広く、勤勉で、ルールを守れる人に対して適している気がして過ごしやすいなと思うような気がしている。
変化を求められ、変化を良しとして変わり続けられる人にはとても向いている、また変わらない部分が個性で魅力的に映る場合もあるように感じていた。
自分は変化してその中で過ごし、新陳代謝が活発な場所にいるのが好きと感じている。
だからこの土地の似せているものと本質の差を見誤ってはいけない。最終的にはNOのことも一時的にYESになってしまったりする場合もある。
その曖昧さも、似せるゆえの変化なんだろうなと思うけど、その不可思議さもまた面白く感じる。
都会は若く、田舎は老獪。
少しづつながらこの土地特有の魅力を感じてきた。
ただ悩み続けるか、考えることを放棄するかでどちらとしてもあっていいという形がわかるところまでわかればいいそんな場所でまた答えより遠くなる。
という思考を生業にしてきた自分の心と場所との兼ね合いを今言葉にしてみました。
この土地は多分、大きな争いが起こっても本質的には何も変わらない、それがまた強さのような土地。
自分はその土地に生まれ、今改めて考えながらどう過ごすかを選んでいる。