試験勉強に縛られて
学校の定期テストに追われたものです。切羽詰まって前日の徹夜。眠い目をこすりながらケアレスミス連発。あれって一体、なんだったのでしょう( ̄▽ ̄;)
では、いつものように音楽でも聴きながら、賢者さまのお知恵に耳を傾けます。
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『賢者さま。試験勉強、イヤでした』
「いつ何が出るか、わかっとるのにな」
『やろうとするのに先延ばしです』
「わっはっは。やろうとするからじゃ」
『は。なんですって❓』
「心の中は、二つが同時にできるのじゃ」
『二つ。やる気とやりたくないですか』
「それが心の仕組みじゃよ」
たーしかに確かに。遠足へ行く前夜。興奮しちゃって、寝ようとしても目が覚めちゃう。なのに、つまらない授業ときたら、起きようとしても眠くてたまらない😪
私たちの心は、やろうと思えば、やりたくない気持ちも、自動的に作り出す仕組みです。二つの思いは、正反対で強さが同じ。引っ張りっこでつり合っちゃいます。
😲 😲 😲
『心の中でつり合ってしまう。わかります。結局、何もできなかったりするのです。引っ張り合いで、エネルギーを使うのかな』
「心の仕組みを使えんからな。引っ張り合いで疲れてしまうのじゃ。机に向かえば、眠くなるばかり。そのくせマンガを手に取れば、たちまちランランと目が覚める」
『ソレって、大人になっても、同じことを繰り返してる気がします。やろうかな。やりたくねえ。でもやらないといかん。やっぱやだな。取り敢えず、ケータイ見ちゃえ』
「やれやれ。ムダなところでエネルギーを使い果たす。そして自分を責めるのじゃ。ボクって悪い子。アタシってダメだわ」
🗿 🗿 🗿
私たち、子供の頃からずっと、やらなければいけないことで、追い立てられてきたように思うのです。大丈夫。大人になればわかる。そう言われて育ったものですが──
『全然、進歩してません( ̄▽ ̄;)』
「勉強が仕事に代わっただけじゃ」
『大人になっても、変わってないです』
「エラソーにできんわな」
『どうすればよいのでしょう』
「カンタンじゃ。ゼロになればよい」
『えっと、ゼロってなんでしたっけ』
「コップの水を飲む時がゼロじゃ」
🍵 🍵 🍵
『あはは~そうだ。すぐ忘れちゃう。コップを持つ。何も考えずスッと持ちますね。水を飲む時だって、ただ自然に飲む』
『さ~コップを持つぞぉ。そんな気合いを入れるヤツはおらん。大丈夫よ。きっと飲めるわ。そう言い聞かせるのもヘンじゃろ』
そうです。何も思わず考えず、自然にスッと始めたらよいのです。ただ淡々と進める。試験勉強も日常も仕事も同じです。
🌸 🌸 🌸
『好きなことは、そうしてますね』
「勉強と遊びは違うと思い込んどる」
『趣味は仕事と別ものって決めつけてます』
「そう思えば、そうなるのさ」
『何か良い方法、ありませんか』
「まず、勉強と遊びを比べるのじゃ」
『何を比べるんです❓』
「自分がどう取り組んでおるか」
好きなことって、あれこれ考えません。いきなり始めちゃいます。ゲーム。料理。おしゃべり。音楽。読書。ただひたすら、目的に従って突き進むのです。
🚀 🚀 🚀
『あ。それと自問自答してますね。自分で自分に問いかけるっていうか。これはこうしてこうだな。ああやったらどうだろうなんて。自分で問題を作って、解いてるというか』
「試験勉強も同じようにやればよい。教科書を読みながら、自分でノートに問題を作っていくのじゃ。出題する先生の気分になって。教師と言えども同じ人間じゃよ」
『お。ソレって、お客さん対応、情報集め、仕事仲間とのやり取り、なんでも使えそうですね。そっかぁ。学校でやれなかったこと、仕事でやり直してるのか』
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やれやれ。私たちは今でも、子供時代の積み残しを、ずっと抱えて右往左往しているのかもしれません。親から子に、そして孫へと。ここらで断ち切りたいものです。
『好きなことって、ゴールが見えてます』
「どうなりたいかイメージされておる」
『コップの水を飲む時がそうですね』
「始める前に、心の中で飲み終えておる」
『タクシーに乗れば、まず行き先です』
「取りあえず飛ばして。危ないよ」
『ガンバル人ってそうかも』
「力を抜いて、軽~くフンワリ」
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私がいつも、生徒に伝える言葉遣いで書きました。お子さんがいらっしゃれば、ご一緒にお読み頂けたら嬉しいですね。