死後の世界はここに
「今回は地震の話で深刻やったな」
『動画を見たら、込み上げちゃって』
「五十年も連れ添った奥さんやで」
『旦那さんは二階で、一階が潰れて』
「ちょっと言葉も出えへん」
『うん。いやホントもう……』
「心の底いうか魂に響く感じや」
『頭がフリーズしちゃったよ』
♡♡♡
こんにちは!
フジミドリです☆
新シリーズは【癒や詩絵物語】です。
今回は【死に逝く場所】を書きました。
素朴な疑問が浮かんだのです。
(本当の居場所はどこか?)
検索しても答えが出ません。道術家の私は、中真の仙骨を意識するのです。
書籍で探したり人に尋ねたりも致しません。頭脳とは別の回路を使うのです。
スッと浮かぶ感覚がございます。
この感覚を物語と詩へ組み直し、朔川揺さんが描いて下さる絵に添えました。
♡♡♡
「死んだらどこへ行くんやろ」
『え。幽界だよ。まぁすぐには逝けない霊魂も結構いるね。特に地震とかで突然だと、死を認識できなくて迷ったりもする』
「うーん。ほな、幽界はどこにあるんや」
『ああ、そういうことか。どこへも行かないよ。今ここにあるのさ。重層的というか』
「重層的。まぁ空の彼方や宇宙の果ていうのもなんやけど。このわたしに重なる感じ?」
『そう。肉体を覆ってる波動が幽体でね。本当の居場所って今ここなのよ』
☆☆☆
私たちは死を迎え、幽界へ参ります。
よく「肉体から離れて」などと申しますね。でも、周囲の風景が変わると言えば、より適切な表現かもしれません。
幽界は想念の次元です。
何もかもが正に思いのまま。恰も肉体を持つかのような振舞いさえ可能なのです。
幽体と呼びます。
精妙な波動ではございますが、この世に映し出される肉体と近い周波数です。
♡♡♡
『これはあくまでオレの理解だけど』
「まぁええわ。物語として聞くから」
『本来は霊界がオレたちの居場所なのさ』
「霊魂の故郷いうとったな。天国いうか」
『うん。想念がすっかり祓えたら、幽体も脱ぎ捨て霊体になるよ。もう自由自在だね』
「はぁそらええなぁ。物語やとしても希望が湧いてくるで。早よ逝きたいわ」
『それがさぁ、幽界からこの世へ戻るケースも多くて。慣れ親しんだ次元だからね。霊界へ逝ったら現実界にはもう来ないよ』
「ほな、この世に生まれたいうことは、どんな聖人君子かて想念ありありなんやな」
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死の認識が難しいのです。
何事も頭脳に頼って判断する現代人は、自分の死体を見ても死が認識できません。
脳が機能停止してますから。
話しかけても答えぬ家族。肩に触れるとすり抜ける。通夜や葬儀そして納骨などで、ようやく自覚していくのです。
♡♡♡
『早いとこ死を認識してもらってさ、幽界もスッと抜け出てほしいんだけど、残された方が理解できなくて引き留めたりする』
「そうはいうてもなぁ」
『だよね~オレも死後の世界をどう認識するかは、ミドリと共有できていたはずなのに、いざそうなるともうドタバタしたもん』
「そらムリない話やで」
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ミドリを看取った後、悲しみと喪失感と後悔で、泣きくれる日々だったのです。
しかしその一方、霊魂は永遠不滅であると、私の中真が理解してもいるのでした。
もう、痛みや苦しみのない次元にいる。
最期まで生き抜いたじゃないか。生命を全うした。なんと喜ばしい偉業だろう。
泣きながら笑っておりました。
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『イラストありがとね。マジ助かったよ』
「すまんな。今回も詩や物語と繋がらんで」
『そんなことないよ。オレの中ではね』
「わたしは好きに描かせてもろうとるから」
『それがいいのさ。なんとか絵で締めようとして、どうにか決着ついたもの』
「フジさん、言うとったな。死後の世界は、書くことあり過ぎてまとまらへんて」
『うん。だから一回毎に区切りをつけたいのさ。いつ来るかわからないもん』
「なるほどな。突然お別れが来てもええように、普段から準備してなあかんのや」
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お読み頂きありがとうございます!
次回のフジミドリは4月21日の午前十時。こちら西遊記が25日の午前九時です。
是非いらして下さい☆