死後の世界はすぐ傍に
「イヤそれにしても、フジさん、変われば変わるもんやなぁ。別人か思うたで」
『まぁ39年、経年劣化ってあるけど、我ながらそれだけじゃない感じだね』
「イラスト描くのに、結婚式の写真を見せてもろて驚いたわ。今回は、ミドリさんだけやけど、イメージ通り描けんでスマンな」
『そうなの?オレ的には最高だよ。一瞬は、写真公開しようかと思ったの。でも、止めときなさいって言われてね』
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こんにちは。フジミドリです。私たちの結婚記念日に贈る、霊界通信いかがでしたか。
ファンタジーとして、お読み頂ければ嬉しいのですが、私はいつも通り、ミドリとの会話を楽しむ感覚でした。
道術は、こちらの世界に在りながら、霊界の波動を使いつつ磨いていくのです。
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「写真を見ると、珍しい結婚式だったみたいやね。乗馬クラブで挙げたんか」
『初めは、パスするつもりだったの。お金もないし。大学を出たばかりだったから』
「それがまたどうして」
『馬仲間で盛り上がっちゃって』
「周囲が暴走したんやろ」
『式の後、馬でパレードやったの』
「そらまた派手やねぇ」
『新聞に載ったし』
「おやまぁ」
『テレビのニュースも出た』
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こうして書きましても、本当にあったのかなぁと、なんだか夢のような気は致します。
時が経つ。確かにあるでしょう。
しかし、それ以上に在り方。
霊魂の領域で、理解することにより、人生が大きく変わってしまう感覚となるのです。
そんなご経験、ございませんか。
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「人生、決まっとるんやないの」
『決まってはいるんだけどさ』
「含みのある言い方やな」
『よく似た世界に移行するというか』
「理解の世界が、決まっとらんやろ」
『うーん。そうなんだけどね』
「表現する言葉がないんか」
『いやホント、もどかしくなるよ』
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ある朝、目が覚めると何か違う。
同じ家の中で、同じ人間が同じように起きて行動するものの、違和感を覚えるのです。
自分は自分でなくなり、別の誰かになってしまった。そんな不思議な気が致します。
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「はぁ。雲を掴むような話や」
『揺さんだって、移行してるんだけど』
「なんやて。ほんまかいな」
『気づいてないんだよ』
「まぁ、自分が自分でないような時とか、自分て誰やろ、ぼーっとするの、あるけどな」
『今日の自分と昨日の自分が、連続してるってのは、思い込みに過ぎないんだよね』
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言葉に表現できない次元を、なんとかお伝えしたいものだと、書いて参りました。
もちろん、私の扱える語彙や表現には、限界がございます。行間に流れる波動を、感じ取って頂くしか術はございません。
とはいえ、ありがたいご縁です。確かに伝わっている手応えを、掴めているのです。
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「人生は全て決まっとる。聞いて、ガッカリする人おるんよ。私もそうやったから」
『揺さんに聞いて、なるほどって思った。オレは腑に落ちて安心できたから、皆さんも、そうだろって思っちゃった』
「それがな、決まってるなら、好きにやってええか、ありがたい思えるようなったの」
『いいね。勝手放埒に生きるんじゃないからさ。周囲も心地よくならなけりゃ、本当の意味で自由自在とは言えないもの』
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悟るには、もしかすると、年を重ねて生きる時間が関わってくるのかもしれません。
やはり若いうちは、何が起こるかわからないワクワク感が、好ましいのです。
生きる気力が湧くというか──スビバセン。昔のことで、よく思い出せないのです。
私は子供の頃から、先が決まってないと落ち着かない。そう感じていた気が致します。
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『人生は決まっているのに、先が気になって情けないって、コメント頂いたんだよね』
「おかしなことないで。映画がそうや。ハラハラドキドキ、先が知りたくて観るんよ」
『だよね~オレもそうお答えしたの。こうして書くのも、どんな反応あるか知りたくて』
「決まってなかったら怖いわ。映画かて、安心してその世界観の中へ入り込めへん」
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ミドリとの会話でも、人生は決まっているかどうか、好きに捉えればよいとの結論です。それぞれの段階がございましょう。
私たちは正解を求めるように、そしてまた、見解が統一されなければ安心できないと、躾られてきたのかもしれません。
人生は決まっていると理解して、心地よいならそのままでよい。決まっていない方が安心できるならば、それで構いません。
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「ミドリさんは、自分があるんやろか、それとも類魂に溶け込んでるんか」
『オレ、光の二重性と理解したよ』
「ははぁ。観測するまで波動やけど、観測した途端、粒子になるいうやつやな」
『あなたが思い出してくれる時間、あたしは傍にいるわ──ズシッときた』
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自分が意識しない時、人であれ物であれ環境であれ、存在してないのと同じ。
かといって、消滅するわけではなく、波動としてカオスの中に存在している。
この理解は、私にとって、とても心地よく、また、救いを感じるものでした。
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「なるほど。人でも物でも環境でも、目の前におらんなら、考えんでええわけやな」
『関わってない時もずっと、相手が存在していると思うのも、謂わば信仰だよね』
「慣れの問題あるな。当たり前に思うことは捨てられへん。疑問を持つのも怖いわ」
『そこだよ。当たり前に思うことを見直す。これこそが在り方革命なのさ』
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もう、この世で会えないんだな──
時間が深まるほどに、寂しさは積もったものでした。霊界へ逝けば、きっと会えるぞ。
縋りつく思い、あったかもしれません。
魂の波動を上げなければ、霊界で一緒にいられない。そんな恐れも抱いていたのです。
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「最期の時、お迎えが来るそうや。わたし、誰も来てくれへん気ぃするわ」
『あはは~オレが先に逝ったらさ、揺さんを迎えに来るから大丈夫だよ』
「ほな、わたしが先やったら、ミドリさんと一緒にお迎え来るで。パレードやな」
『なんと豪華。嬉しいよ』
「霊界でも、会えるんやろか」
『そういう在り方を選んだらね』
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幽界は思いの世界です。生きてる間に、思い残したことを済ませる場所なのです。
私はそう理解しております。
こちらにいる間、心の底に隠した思いも、全てが露わになってしまうのです。
知らずに他者の思いを掻き立てた。心の靄に気づけなかった。突きつけられましょう。
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「ほな。今のうち、手放しておかんと。わたし、まだまだあるんや。恨み辛みいうか」
『オレも同じだよ。ゼロになったと思って、見たり聞いたりすれば、思いが浮かぶ』
「せやけどフジさん、理解することも決まっとるんやろ。何をどう理解するかまで」
『そうだね。深さだけ決まってない。深さ、言葉にならない感覚だよな』
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引き寄せの法則は、潜在意識を使って望む事を引き寄せます。健康であれお金であれ仕事であれ恋愛であれ、同じことです。
しかし、道術は真逆なのです。潜在意識を空にする方向をとっておりますので。
良いイメージを植え付けるのではなく、思い込みに気づいて手放して参ります。空っぽ、つまりゼロになるのです。
その果てには、そもそも潜在意識なんてあるだろうか。そこまでゼロにするのです。
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「潜在意識、ホントにあるんか」
『わかんないよ。誰も見たことないもん』
「けど、潜在意識がどうたらこうたら」
『さぁね。誰が言い出したんだか』
「フジさん、潜在意識は習慣やとか、自他の区別あれへんとか、書いとらんかった?」
『入試問題にも出たことあるし、本やブログで書いてる人が多いから使っただけさ』
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あると思えばある。ないと思えばない。全て自分次第。絶対的なものなどない──
道術に限らず、哲学や思想、宗教やスピリチュアルでも、言われていることでしょう。
また一方、時間空間物体、そういった現実が存在していると考えなければ、不安で堪らないという方もいらっしゃる。
それでよいのです。ご自身が、今ここで楽な道を選んで構いません。
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「霊界いうたら、遠くにある感じやねん」
『わかる。雲の上、空高く宇宙というか』
「あると思えばある。ないと思えばない」
『目を閉じたら此処が霊界、そんな感じ』
「ますます受け入れられへんな。けど、絶対違うやろいうのも、言い切れん気がする」
『こんなこと考えないで、美味しいお寿司でも食べた方がいい、そう思っちゃうよね』
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死後、肉体を離れる。
それは確かです。
いや、離れない。死んだら消滅する──そんな死生観は、心地よくなかったのです。
死後も、肉体を離れた霊魂がある。私は、そちらの方が安心できました。
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「次はフジさんの誕生日か」
『何書こうかな~って』
「生まれたのは何時やねん」
『朝の5時53分』
「わたしは10時45分や」
『あの時と同じオレっているよ』
「変わる部分も多いけどな」
『その視点から、種観霊するか』
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なんでも思いのままにできる。好きなことを好きなだけ好きなように。そのような世界に在ると、自分は一体何を求めるだろう。
多くの魂が、幽界で済ませることを、道術家は今のうちに手放しておこうと致します。
ですから、現実を変えよう、善くしようとは考えません。ただあるがままに受け入れる。
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「幽界を卒業すると霊界やね」
『なかなか難しいみたいよ』
「幽界に留まるんか」
『Uターンしてこっちへ戻るとか』
「早、霊界逝きたいような」
『一度は逝きたいね』
「裏ルートとかあれへんの」
『あはは~では、そこらも次に』
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お読み頂き、ありがとうございます。
次回フジミドリ5月1日午後3時。
こちらは翌2日午後6時です。