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エビデンス依存症
依存は、悪い行為でしょうか──
やや深刻なご相談を頂きました。
いつものように、賢者さまのお話です。
✴ ✴ ✴
「善くも悪くもない。依存そのものに、意味などないのじゃ。ただ、現象があるだけ。善悪に意味づけするのは夫々の自由じゃ」
『でも賢者さま、善い依存って』
「まぁ、言葉の印象はあるがの」
『悪いイメージしか湧きません』
「ドラマとか、なっとるじゃろ」
『あ。たーしかに確か。好敵手がいるから頑張れたり、良好な協力関係とか。いなくなった途端に気落ちする。これも依存か』
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ドラマや実話で、美談として讃えられる物語も、依存という捉え方は可能なのです。
子供を可愛がる思いは、僅かな違いで、善悪どちらへも傾きます。長年、教育業界で、そのような実例を数多く見て参りました。
愛は地球を救う。愛さえあれば上手くいく。そう信じたい方もいらっしゃる。しかしながら、裏目に出ることも否めません。
今この瞬間、愛する誰かを守るため、戦争が勃発しています。人類を救う愛ある研究によって、害を成すことさえあるのです。
柔和な包容力に溢れる無条件の愛ではなく、条件づきの愛情で固執してしまう。境界線は引き難いのです。
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「そこで、証拠集めじゃな」
『エビデンスってやつですか』
「主観に自信がないのじゃ」
『でも、専門家の調査分析は重要です』
「捏造できるぞ。利害関係じゃ」
『うーん。同じ数値で真逆の結論もあるか』
「より多くから許可されて力を持つ」
『承認欲求ってやつでしょうか』
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私たちは、外に許可を求めます。自分が自分に許可を与えるなんてできません。そのような厚顔無恥は、許されないと信じています。
自分勝手は秩序を乱す。そう恐れます。何故なら、自分の内に信じられる核が見当たらないから。中心を見失っているのです。
一方、万人が受け入れ得る、絶対的な客観性は存在しないと気づいています。絶対はないという命題さえ、絶対ではないのです。
🔮 🔮 🔮
『どうすればよいのでしょう』
「しつこい奴じゃのぅ」
『あ。このままでよい』
「殊更、何もする必要はないぞ」
『うーん。でも、やっぱり許せません。自分がこのままでよいのなら、相手もそのままでよい。わかります。わかるんですけど──』
「おいおい。語るに落ちとるぞ。つまりキミは、許したつもりで許せておらんのじゃ」
『ギクッ。厳しいお言葉です』
「既に許しておる。許されておるのじゃよ。そのような在り方を、見直すだけでよい」
🌿 🌿 🌿
これは、斬新なお考えです。私たちは、既に許されている。え。何方さまにでしょう。
そもそも、許すとか許さないとか、一体どのような行為であるのか。
根本から見直して、探る必要があるように感じました。如何でしょう。明確ですか。
❔ ❔ ❔
「これまで儂が語ってきた中心を、ちょっと此処らで復習した方がよいかな」
『スビバセン。同じことを何度も、お尋ねしているように思うのですが』
「それは構わんよ。わかったつもりで、別件が顕われると、途端に混乱するものじゃ」
『あいつだけは許せない、なんて言います。許すという行為が、賛同・共感・承認であると理解しているのです』
「何度でも言おう。許すとは緩める、力を抜く作業じゃ。つまり、手放すのであるよ。許せんのは、掴んでおるからじゃな」
👊 👊 👊
私たちは、何かに囚われます。その状態を、賢者さまは掴んでいると表現なさる。
なるほど。右手でバナナ、左手が林檎を持てば、目の前にある葡萄は取れません。一層、フルーツパフェで、纏めて食べますか。
果物ならわかる理屈も、思想や信念に於いては、滑稽な悲喜劇を演じてしまうのです。
🍌 🍎 🍇
「考えは、なかなか変わりません。それで、プラス思考に塗り替えます。バナナの上から林檎を持つ。手が痛え』
「どんな考えも、そのままでよいと手放せば楽じゃ。本来、許すのは簡単であるぞ」
『もしかして私たちは、許せないという言葉に、依存しているのかもしれませんね』
「ふむ。そんな自分も許せばよい。許せないで悩む自分を許す。許せば許す程、自分は広がるじゃろう。宇宙にある全て許せば、自分は宇宙そのものとなるのじゃ」
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如何でしょう。あらゆる人、あらゆる現象を許せますか。許せば楽になれます。解放されて自由自在となるのです。
とはいえ、掴んでいた力を緩め、手放すだけでも、難しかったり致します。
現実では、なかなか思うように参りません。ゲームの世界で体感しては如何だろう。連載中の物語で、今そのような展開です。
🐯 🐯 🐯
🔮 🔮 🔮
『でも賢者さま。どこまで行っても、許せないのです。許したと思ったのに、暫くして、また許せない自分が顕れます』
「わっはっは。当たり前じゃ」
『え。ど、どういうことでしょう』
「この世にある限り、完全な許しはないぞ」
『は。なんですって』
「神なる法則の仕組みで、相反する二つが相互に支え合って存在するのじゃ。許せないという現象が存在するためには、完全な許しが必要となる。片方だけでは成り立たん」
🍈 🍈 🍈
これはまた、深いお話ですね。暑さがなければ、寒さは存在できない。つまり、対立概念があってこそ、互いに存在できるのです。
貧しき人々がいなければ、お金持ちは存在できません。全員がお金持ちになったら、それはもうフツーの人々です。
同じく、この世で許せないという体験が存在するためには、あの世という、完全な許しの世界がなければ成り立たない道理なのです。
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『それなら賢者さま、この世で、完全に許せないとしても、宜しいのでしょうか』
「そうじゃ。気が楽になったろう。できるだけ許せばよい。まぁ、中心を意識した刹那、完全な許しの次元と通じるのじゃが」
『中心を意識するだけで、既に許された世界と通じている。つまり、私たちは其処で、許し許されているのですね』
「うむ。眠る時、誰もが通じておるよ。起きとる時から通じるのであるなら、最早人生の達人じゃ。達人鉄人変人。わっはっは」
🔮 🔮 🔮
ではまた💚
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