写真を通し語りかける
「過去を創る写真て、書いとったな」
『現象は次々と消えていくからね』
「うーん。言うてることわかるんよ」
『あはは~オレもまぁ、実感だと』
「この世は、意識の世界で済んでしもうた理解が映し出されとる。せやから過去しかあれへん。そういう理屈やったな」
『うん。何か起こった途端もう過去だから。今だと思っている現在だって、次々と消えていってしまう過去なわけで』
「まして、未来なんかあれへん」
『……たーしかに確かに』
「あんたの未来、どこにもないで!」
『それ、今度生徒に言ってやろ』
「やめとき。パワハラなるわ」
『……どんな顔するかな……テヘ』
♡♡♡
こんにちは!
フジミドリです☆
昨日の私物語は写真が主人公でした。
流れ去ってゆく風景を、一瞬だけ切り取って形にする写真。その写真から見た私は、一体どのように映るだろう──
写真との対話で、人生に対する理解が、また少し深まったかもしれません。
では、いつものように、イラストを描いて下さる朔川揺さんと創作談話です。
♡♡♡
「視点を写真に……どこから出たアイデアなんやろ。写真撮れるの不思議に思うた?」
『いや。その疑問は、書いているうち出てきたよ。改めて奇妙だなと思ってさ』
「なるほど。わたしは綺麗なお花とか写真に撮って、googleマップ載せたりするけど」
『だよね~写真が撮れるって奇妙だなんて、フツー疑問に思わないんだろうな』
♡♡♡
このような疑問は、よく浮かんで参ります。
道術の稽古を始めて、日常でゼロになる時間が多くなってからのことです。
実は、疑問と同時に答えもわかります。ですが、うまく言葉にできません。
歯痒いのです。
中真の魂は理解している。けれども、頭脳に入りきらない。そんな感覚でしょうか──
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「今回、現実のフリする非現実いうセリフがあったやろ。ちょっと意味深や思うたわ」
『あはは~あれねえ。苦し紛れの出任せなのよ。イヌに成り切るネコからの連想でさ』
「イラストに合わせてくれたんや。すまんのお。わたしは、自分の趣味で描いとるから」
『面白かったよ。あんな写真あるのね。お蔭で、突飛な表現が出てきたかも』
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私は初稿と呼んでますが、下書きですね。形が纏まれば、揺さんに読んで頂きます。
イラストが出来上がってから、さらに足したり引いたりするのです。
直すほどに内容は深まります。思わぬ着想を得て、方向が変わることもあるのです。
イラストのお陰──
前回の柴ワンちゃんへも、素敵なコメントを頂きました。改めて感謝致します。
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「ありがたいことや。嬉しいな」
『相乗効果って、いつも思う』
「物語とイラストの合作や」
『別の世界が拓ける感じだね』
「読み手と書き手も同じや」
『ああ。たーしかに確か』
「意識の世界で繋がる思うんよ」
『正に複素数平面な交流!』
「なんやねん、あれ。意味不や」
『あはは~マジなんだろね』
「誤魔化してな。スープ冷麵!」
『スビバセン。バレテーラ』
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複素数平面なんてよく知りません。
塾で高校数学も教えておりますが、あくまで大学入試用の計算技術に過ぎないのです。
もしかすると、この世を解き明かす真理なのかも、という予感はございますが……
どうも私、子供の頃から、小難しい話を茶化してしまう傾向があるのです。
寛容な御心でお読み頂ければと思います。
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「四つの写真て書いとったな」
『ミドリと親父お袋+猫のピキ』
「毎朝、ご挨拶するんや」
『声が聞こえるっていうか』
「心強いことやで」
『いい顔してるんだ』
「遺影は大切かしれへん」
『オレ、写真ないから』
「撮っといたろか」
『誰も見ないよ』
「わたし見る」
『そりゃ嬉しい!』
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同じ写真が違って見える。
そんな時がございます。単なる錯覚や気のせいとは考えたくないのです。
私の心理状態に応じて、受信の精度が変わってくる、そう理解しております。
写真を主人公にする着想は、この辺りから浮かんできたのかもしれません。
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「受信ゆうたら霊界の波動?」
『うーん。他に言葉がないよね』
「フジさんでは自然なことか」
『お喋りする方が不思議さ』
「なるほど。言葉を発して、相手が理解してくれて……普通のことや思うけど」
『言葉は通じて当たり前。通じない人がおかしい。そう思い込んでるわけよ』
「子供の頃から、周りの大人やテレビ、思い込まされてきたかもな。同調圧力や」
『写真は語らない。無条件にそう思い込んでしまう。だから、耳を傾けたりしない』
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額縁の笑顔を眺めておりますと、不意に気配が感じ取れてくるのです。
ああ、傍にいてくれる。
目は閉じて、耳を澄ませるならば、懐かしい声が響いて参ります──
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お読み頂き、ありがとうございます!
次回の私物語は4月9日午後3時、こちら翌10日午後6時に創作談話です。