間の音楽
絵を描くときに 対象物の形を線で表す
わたしは これは 嘘だと思っていた
なぜなら 遠くに森がある
森とわかるのは 青空が背景にあり 樹木の境界線で緑の森が確認できるのである
しかし 森に近づき 森の中に入ると そんな境界線など どこにもないことがわかる
とすれば 森の輪郭を線で描くのは違う
青空の青と 森の緑を塗り分けて はじめて森の輪郭は現れるのだ という ソシュール的な考え方を 子供の時に持っていた
結局は欺瞞だと思いつつ 輪郭を線で表現することを選択するのだが それは絵画ではなく漫画だとすら思っていた
そして 線で表現するのは得意だが 色を塗るのが面倒くさくて嫌いだった
おとなになって それは音にもあるのだと気づいたとき 少し興奮した
武満徹の『ピアノ・ディスタンス』を聞いたときだ
なるほど これは音と音の間のディスタンス (距離)つまり空白を演奏しているのだと思ったのだ
演奏者は 音符の上に音を置いて 聴く者は その音を聴いているものだと思っていたが 実は音と音の間の空白を聞いていて そこに立ち現れる音という異物との差異を聴いているのである
音を敷き詰めて それを聴かせようとしたのがコルトレーンで 音と音の間の空間を聴かせようとしたのが ビル・エバンスであり セロニアス・モンクであり マイルス・デイビスだった
そう思う