貧しさは自由だと、教えてくれたインド犬。
インドでは、よそ見をして歩いていればこの犬種もわからない茶色い犬にぶつかる。それほど大量にいる。
2020年、年が明けてすぐ、新型コロナウィルスが、まだどこかよその国の話に聞こえていたあの時、1週間単身インドへ向かった。
会社で上司に「お前、来週ちょっとシフト変更になったから1週間休みになったんだけど、どっか行く?」突然、社会人生活最大の休みを付与された僕は、いつも通り中身のない冗談でとりあえず上司に返答した。
「じゃあ、インドでも行って自分探してきちゃいますかねぇ〜。」←今文字に起こしてみたらとんでもなくすべっていた自分に赤面する。
「りょうかーい。だいち来週インド旅行しゅっぱぁぁつ!!!!!」
突然、上司が職場中に響き渡る声で言い出した。完全に学生時代の悪ノリのそれである。
「しまった、、!」心の中でそう思った時にはもう出遅れだ。
「マジで!?」「ガンジス川は入るの?」「帰ってきたらカレー作ってよ。」
あぁ、終わった。もう引き返せない。
盛り上がる会場のボルテージに反比例して僕の血の気は引いていき、脇からは1月だというのにヒヤッとした汗がジュワッと滲んできている。
マジで来ちゃった。そして、着いて早々、なぜボクは機関銃をもった軍人の横でカブトムシの匂いがするコーヒーを飲んでお腹を下しているんだ。
最悪のスタートだった。
腹痛も少し治り、首都デリーの空港からガンジス川があるバラナシの空港へ向かうために違うターミナルへバスで行こうとしたのだが、コレにも一発食らわされた。
「動かなくなったから、みんなで押して〜」英語は全然なボクでも運転手が笑顔でそう言っているのだけは伝わった。
確かに、こんなバスに少しでも期待していた自分がマヌケだったのだろう。
日本じゃ見た事ないくらい古く、車体はベコベコ、窓もぶつけたのかバリバリに割れており、一番凄かったのはそのエンジン音だ、乗り物が出す音ではなかった。
「うおおおおおおおおおおおおおお!!!」
本当にバスからこの音が出ていた。隣にいた白人の観光客は膝から崩れ落ちて笑いながらこのバスのエンジン音を動画に収めていた。笑っている場合ではない。
その後、乗客の男たちの力によって、なんとかエンジンの押しがけに成功し、格別の乗り心地のバスを惜しみつつ飛行機に乗り換え、バラナシへと到着した。
犬犬犬人人犬牛牛猿犬鳥猿人人犬犬犬。
動物園の内側にでもいるような錯覚に陥る。そのくらい生き物で溢れかえっていた国だった。その中でも牛と犬は別格にいた。
野良犬は日本ではほぼいない。というか26歳のボクは見たことがない。いたらきっとチワワくらいの小型犬でも怖いと思う。
だが、インドで野良犬を見て感じたことがある。
「あれ?こんな汚いのに、なんだこの気高さは。日本でちゃんと飼い主に飼われている犬よりかわいいし、カッコイイって思うのはなんでだろう。」
理由はわからなかった。だが最近一冊の本を読んでその理由が明らかになった。
オードリーの若林正恭の著書「表参道のセレブ犬とカバー二ャ要塞の野良犬」だ。
その中に一説をご紹介させていただきたく思う。
「カバーニャ要塞ではよく野良犬を見かけた。東京で見るしっかりとリードでつながれた、毛がホワホワの、飼い主に甘えて尻尾を振っているような犬よりよっぽどかわいく見えた。なぜだろう。」
電撃走る。共感の嵐だった。早く理由が知りたい。
「あの犬は、観光客に取り入って餌を貰っている。そして、少し汚れている。だけれども自由だ。飼い慣らされることよりも自由と貧しさを選んだ。」
そうか、だからボクはこの犬をかわいいとも、気高いとも、羨ましいとも思ったんだろう。
ボクは現状、セレブではないが「セレブ犬寄り。」ではある。セレブではないが。
こうなると「インドに行って、人生観変わった。」なんてよく聞く話に着地しそうだが、あえて言わせてほしい。
「インドに行って、人生観変わった。」
あれだけのカオス、熱気、活力。情報が完結しない毎日を過ごしたらそれはみんな変わっちゃうのである。
その中でも一番影響を受けたのが「野良犬。」なんて自分でも驚きだが、
この野良犬たちはボクに自由と、そして貧しささえも気高いことなんだということを教えてくれた。
あの汚い犬たちに今は会えないが、ボクは遠いこの日本で、あの犬の気持ちを忘れずに明日も生きていきたいと思ってしまっている。
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