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負けるとわかっていても引けなくなるのは「何かを得たいから」ではない。「自分がしてきたことが無駄だった」と認められないから。

 8月15日(木)読売新聞の特集「戦争の末路ー戦後79年ー」に掲載された、作家の小川哲が語る「日本が戦争に突き進み、敗戦が濃厚になっても止められなかった理由」が面白かった。

 要約すると「日本が開戦した理由は満州という土地に対する執着であり、やめられなかった理由は土地に投下した資本(金銭・人命)が無駄だったと認めるわけにはいかなかったから」という話をしている。

 日本は日露戦争(1904年~05年)で20万人以上の戦死傷者を出した結果、南満州で鉄道の運営権などを獲得したものの賠償金は得られなかった(略)
 世論の突き上げを受けた政府が「兵士の死は無駄ではなかった」と主張するために、満州は「価値ある存在」でなければならなかったのです。

(引用元:2024年8月15日(木)読売新聞2面「戦争の末路ー戦後79年ー」小川哲/太字は引用者)

「実際に価値があるから『価値がある』のではない。価値がなければならないから価値を与え、利益を回収できると信じる」
「本来は意味がないことに『利益を回収できる』という意味(虚構)を勝手に持たせ、自分が作り出した虚構を信じて利益を回収できるまで投資し続けることを止めない」というのは無茶苦茶な話である。

 ただ太平洋戦争を見ると、この無茶苦茶な心性で現場の指揮を行っていることが多い。
 この時代の軍部に通底していた心理なのかなと思う。

 NHKスペシャル「ビルマ 絶望の戦場」を見た時も、当時の日本軍の指導部は、認識したくない現実は認識せず、認識せざるえない現実は微妙に作り替えており「そのままの現実を受け入れようとする強さや誠実さ」が根本的に欠けていると感じた。
「考えたくないことは先送りにする」
「認識したくない現実は認識しない」

 日常では誰にでもある怠惰さが事態を悪化させていく。

 日本は(国際)連盟を脱退し、国民は政府の決定を支持しました。自分たちの税金で開発した地域を取り上げられたくないという感覚があったからだと思います(略)
 満州の存在が次第に重荷になりつつも、投じた価値を守るために国際的に孤立し、太平洋戦争に突入していった(略)
 日本は犠牲者の魂や、投じてきた資本という磁場から逃れられなかったのです。

(引用元:2024年8月15日(木)読売新聞2面「戦争の末路ー戦後79年ー」小川哲/太字は引用者)
 

 鉄道を敷き、都市として整備したのに、何も利益を出さずにそれらを放棄することが簡単にできないことであることはわかる。誰か一人の責任では済まない。
 だから「不可能だ」という現実が誰の目にも(自動的に)明らかになるまで続けざるえない。

 領土への執着から資本を投入し続け、そのため利益を回収しないうちは引くに引けない。現実を認識して事態を変えようとする強さや誠実さを誰も発揮しないために、現状が惰性で続いていく。
 惰性によって続く現状によって、人が次々と死んでいく。

 戦争の恐ろしさはここなのだと思う。

 太平洋戦争について初めて学んだのは小学校の社会の授業でした(略)「戦力差を見れば勝てるはずがない。どうして戦いを仕掛けたのだろう」と疑問を感じたことを覚えています。

(引用元:2024年8月15日(木)読売新聞2面「戦争の末路ー戦後79年ー」小川哲/太字は引用者)

 これは自分も思ったし、初めて太平洋戦争を知った時にこういう疑問を持つ人は多いのではと思う。
 この疑問から出発して当時の様々な状況や、どの立場の人がどういう認識だったかを見ていくと、歴史の結果を知っている後の世代が考えるほど明快な話ではない、当時の認識だとこうも見えるし、こういう事情もあったとわかってくる。

 当時の人はまさか、日露戦争で満州の権益を確保したことが、日中戦争や太平洋戦争につながるとは考えなかったでしょう。
 ただ、一つひとつの出来事を積み重なることによって、戦争を続けるしか道がなくなっていったと思うのです。

(引用元:2024年8月15日(木)読売新聞2面「戦争の末路ー戦後79年ー」小川哲/太字は引用者)

 現代の視点で当時の物事を解釈することももちろん意義があることだと思うけれど、同時に当時の視点をトレースして物事を見て行かないと問題点がわかりにくいと感じる。
 ネットミームで言う事後諸葛亮だけだと、「こいつが駄目だった」「ここが駄目だった」で話が終わってしまう。
 なぜそんな駄目な人間がその立場についたのか、「駄目な事象」はどこから生まれてきたのか、原因は何だったのか、原因と結果がどう結びついていたのかということを知りたい。
 だから小川哲のインタビューは読んでいてとても面白かった。

 インタビューを読んだことをきっかけに「日本の歴史23 大正デモクラシー」を読み直している。
 この当時は意外と民衆の力が強く、政府や軍部も民衆の意向を無視することはできなかった。民衆が集会に集ったり、議会を包囲して政治家に圧力をかけるなどしていて、今よりずっとアグレッシブだ。
 当時も今の時代も、自分たちの体感よりもずっと国民の存在は政治の方向性に影響を与えているのでは、と感じた。

(「日本の歴史23 大正デモクラシー」今井清一 中央文庫)

 税金の投入など「自分たちの犠牲は何だったのか(何なのか)」と思う気持ちは、自分も普通の市民だから凄く身に沁みる。
 ただ各々が長い目で柔軟に物事を見ることが出来れば、この先日本が太平洋戦争に突入した時のような歴史の節目に遭遇しても、先々のことまでを見通すために立ち止まって考えることができるかもしれない。
 過去は変えることは出来ないので、同じ枠組みを繰り返さないことが大事だなと感じた。

 インタビューを読むと「地図と拳」が無性に読みたくなる。読まなければ。

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