「親を裏切り家から逃げ出さなければ、自分の人生を生きられない問題」について。

 ↑の記事の続き。
 引き続き、漫画「天を夢見て」について。

 初めて読んだ時は「自己実現のために全てを裏切ることをどう思うか」という話として読んだ。
 だから「そもそも他人からの承認でしか『自分』を保てないなら、それはもはや自分ではないのでは」と思い、あまり興味がわかなかった。

 だがどうも引っかかるものがあったので、もう一度読んでみた。
 その結果、この話は「主人公が自己実現すること(悪魔に選ばれること)」にポイントがあるのではなく、「天使の陣営から出ること」にポイントがあるのではないか、と考え直した。

 主人公ライアンが悪魔に味方をする時に、妹のラミがライアンが家を出ていくシーンを回想(夢想)する。

(引用元:「天を夢見て」大雪晟 講談社)

 この「嫌いにならないで」と「いってきます」が入った一コマが「天を夢見て」で一番重要な箇所ではないか。
 考えた結果「天を夢見て」の深層のストーリーは「ラヴァーズ・キス」の藤井の物語と同じなのでは、と思い至った。

「ラヴァーズ・キス」の主人公の一人である藤井朋章は、元々は明るく優しく成績もいいバスケ部のエースで人気者という絵に描いたような優等生だった。
 だが中学三年生のある日、突然豹変する。

(引用元:「ラヴァーズ・キス」吉田秋生 小学館)

 周りは「よくある反抗期」「ボンボンの気まぐれ」ととらえるが、藤井に恋心を抱く後輩の鷺沢にはそうは思えない。

 そして鷺沢の考え通り、藤井の変貌は精神のバランスを崩した母親に近親相姦を迫られて、家を出ざるえなかった(逃げ出さざるえなかった)ことが原因と判明する。

(引用元:「ラヴァーズ・キス」吉田秋生 小学館)
(引用元:「ラヴァーズ・キス」吉田秋生 小学館)

 自分は「天を夢見て」の主人公のライアンと妹のラミの関係は本来は「息子と母親」なのでは、と思っている。
 ではなぜ、ラミは「妹」になっているのか。
 母親としてそのまま登場すれば、ラミの異常(な過保護)さ、出立のシーンにおけるライアンの正当性が明確になってしまうからだ。
 また「いい子でいるから愛してくれ、捨てないでくれ」とすがりつくラミは、仮に実際母親だとしても精神的には「妹」なのだと思う。
 ラミが妹として設定されているのは、本来息子であるライアンが、母親に対して「受け入れる側」にならざるえないことを表しているのではないか。
 ライアンが「兄」であれば、ラミの言動は「過保護な溺愛」ではなく「妹の労わり(ケア)」に変換される。妹を裏切り悪魔につくライアンのほうが「醜い悪」に見える。
 ガブリエも同じだ。ガブリエが父親そのままとして描かれれば、子供を抑圧し自分の思い通りの存在であれと強いる親であることがわかる。
 だが他人だから、ガブリエの過干渉ぶりが何のためかがわかりづらく……というより目立たず、興味を持ちにくくなっている。

「天を夢見て」において悪魔は、「鬼滅の刃」の鬼や「葬送のフリーレン」の魔物とは違い、感覚的にも天使や人間と変わるところがない。
 これはライアンが今までいた世界の価値観が絶対的、普遍的な善なわけではなく外の世界の価値観と相対的なものである、ゆえに現実的な意味合いの「天使と悪魔」ではなく、「内の価値観と外の価値観」の対立の暗喩ではないか、と感じた。
「天を夢見て」は「自己実現と善のどちらを選ぶか」がテーマなのではなく「父親を殺し母親を捨て家と絶縁する、そうまでしなければ外に出ることができない(自分の人生を生きられない)」状況を描いているのではないか。

 ではなぜ自分の人生を生きられないのか。
 父親の精神的な支配による抑圧と母親の「何でもするから愛して、捨てないで」という圧力があるからだ。
 さらには

(引用元:「ラヴァーズ・キス」吉田秋生 小学館)

こういうこともあるのではないか。
「ライアンが自己を抑圧する(自己の可能性を親から搾取される)」という犠牲の上に、世界(家)は成り立っていた。
 ライアンが悪魔に味方する(可能性に目覚める)ことは、天使たちにとっては世界が崩壊する脅威となる、そういうポテンシャルをライアンが持っているのは(チート的な文脈ではなく)そのためだ。

「相手の安心のために、内部に入り込まれ搾取される」
「ラヴァーズ・キス」や「葬式帰り」は問題に性愛(性的虐待)が絡んでいるため、この構図が明確だ。
 母親と章雄は性交渉という直接的なつながりによって相手に受け入れてもらい同化し、安心(心の平穏と安定)を手に入れようとする。
「性」というコードが用いられているから、
強引に迫られる側にとっては自己を浸食され、破壊されるような恐怖であることがわかる。

(引用元:「ラヴァーズ・キス」吉田秋生 小学館)

 藤井のケースは近親相姦という社会的なタブーを含んでいるので、読んでいるほうも母親の異常さと藤井の苦しみがわかる。
 しかし問題なのは「近親相姦」という具体的な状況ではなく「自分(の意思)を殺して相手を全面的に受け入れるか、それとも相手を殺すか」という選択をせざるえないところに追い込まれているところだ。

 ライアンは意思(判断力などの能力)を持たない存在でいることで、抑圧的な父親、愛して欲しいと過保護にまとわりついてくる母親の言動を受け入れる。ライアンはただただ二人の意思や判断、欲望を受け入れるだけの存在でいることを期待されている→ということをストーリー上表しているのが、ライアンの「天使になる才能がない設定」だ。

「ラヴァーズ・キス」や「Nのために」など、「不安定な母親に母子密着を求められ『家』に閉じ込められる話」はけっこう多い。だが、その場合父親は不在か放任気味だ。
 父親も抑圧してくるのはかなりキツイ。
 この構図を30歳まで逃げ出さず「家(世界)」の安定のために受け入れたライアンは、優しく我慢強い人間だ。
 だから親に食い物にされ続け、そこから逃げ出す時には人格を全否定されるような罵声を浴びても受け入れてしまう

「自分が悪者(醜い)ということで話が済むなら」という方向性にいくのは、男の性規範が機能している創作、キャラにありがちである。
 それがその作品の味と言えば味(特性、病理とも言う)だが、自分はちょっと趣味に合わないなと思った。
 いい話だとは思うけどね。

※「天使になること」は自立して社会参加することの暗喩ではと後から思いついた。
 だとしたら見かけよりも遥かにエグい話だが、そこが色々な人に刺ったのかもしれない。

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