「あんたが背負わなきゃいけなかった憎しみを全部押し付けたから、あいつは獣になったんだ」←いや、それはそうなんだが…。結末が凄く不安だ。
*この記事には「君が獣になる前に」7巻までのネタバレが含まれます。未読のかたはご注意下さい。
カンナのこのセリフは、この話がどういう話かということを過不足なく説明している。
自分も「君が獣になる前に」はこういう話だと思う。
なぜ、琴音は666人の死傷者を出す無差別テロを起こしたのか。
それくらい神崎が「世界の理不尽さ」に強烈な怒りと憎しみを抱いているからだ。
自分のことを「両親が殺されても無力だ」とあざ笑う世界に、無力ではないことを見せつけたい、自分も世界を理不尽に破壊する力を持っていることを証明したい。そのために無差別テロを起こして、666人もの無関係な人間を殺傷したい。
そんなことを思ってしまう自分に強い罪悪感を覚えている。
神崎は、そんな無力感(不能感)と罪悪感から逃れるために琴音に憎しみを仮託した。
「君が獣になる前に」は、神崎が十五年近く抑え込み続けてきた負の感情がマグマのように噴火した話だ。
一から十まで神崎の話なのだ。
7巻で神崎が琴音に「お前、面倒くせえ。付き合っても駄目、大元の組織を潰しても駄目。結局、何やったって止まんねえじゃねえか。いい加減うんざりなんだよ。お前に付き合って死に続けるのは」と言ったが、「いや、おまっ……w その言葉、そっくりお返しするわ」(十倍角)と思ってしまう。
「強烈な負の感情を他人に仮託することで、かろうじて自分を保つ」というのはよくある話だ。
アダルトチルドレンの一形態である「スケープゴート」は、家族全員の負の感情の集積地帯であり、最後の防波堤だ。
負の感情が周りから集まって、あるいはドミノ倒しのように押し付けられて、最終的な防衛ラインになった人がそれを外部に知らせるために爆発する。その結果、防衛ラインになった人が赤の他人から見ると「怪物」「極悪人」になってしまう。
「心臓を貫かれて」や「冷血」のように、実際に起こった事件のドミノ倒しの構造を追ったものも多い。
自分を殺すことでしか止まらない、止めることが出来ない怒りを、琴音に押し付けずに自分自身で向き合えばこんなことにはならなかった。
ぐうの音も出ないほどの正論だが、まさか大して付き合いのないカンナがひと言で指摘する……しかも、それで気付いてサッと問題が解決するとは思わんかった。
言葉で指摘されてサッと認められるような感情なら、666人も関係ない人を殺傷するようなテロを、しかも何度ループしても起こしたりはしないだろ。
たまたま飛び出しただけの小学生の琴音に、怒りと憎しみを背負わせて十五年も放置したりしないだろ。
神崎にとっては「自分の中の無力感を認めるくらいなら、666人の関係ない人を自分と同じような目に遭わせたほうがマシ」なのだ。そんな自分のクソみたいな心性に強烈な罪悪感を抱いていて、それを感じたくないから琴音にそれを全て背負わせている。
こういう構図を十五年も続けてきた人間が、大して付き合いのない他人に「こうだろ」と指摘されてそれを認めて問題が解決するのか?
そんなことで解決するなら(神崎が解決できる人間だったら)この話は丸々いらない。
「俺が自分の憎しみをあいつに背負わせたから……済まない、琴音」で話が済んでいるなら、両親が死んだ時に綺麗に話は終わっているだろ。
神崎は「優しかった両親を突然殺した世界の理不尽さ」へ、強い憤りと憎悪を持っている。
その憤りに動かされて自分が「誰かにとっての理不尽な世界」にならないように、琴音を憎むことで自分の中で整合性を取った。
だが神崎への琴音への怒り(負の感情)が、琴音の側にいると常に発動していまい、それが友人の伊藤を狂わせて琴音の両親を殺させた。
神崎は無意識にそのことに気付いているから、負の感情を発動させないために、琴音に近づかないようにしていた。
琴音に近づかないことで神崎の本体?は負の感情を鎮静化出来ていたが、琴音に委託していた「獣」はそのあいだに大きく育ってしまった。
この話は、神崎が「世界の理不尽さに対する自分の無力さを認めないために、感じているはずの怒りや憎しみを封印したから始まった」。
この話で起こっている「理不尽で残酷な暴力=獣」の原動力は、神崎が抑え込んでいる負のエネルギーなのだ。神崎の負のエネルギーが「獣」であり、その獣が物語のどこに現れるかは結果論でしかない。
「君が獣になる前に」は元々は(元々は)そういう話だと思っている。
「自分の中に育ってしまった、何百人もの無関係の人を殺しかねない『獣』とどう対峙するか」
こういうことを語っているのだろうと思うことが、自分がこの話に惹かれる最大の理由だ。
次巻で「琴音の他にももう一人獣が」みたいな予告があったが、嫌な予感しかしない。
まさか「『可哀想な琴音』を獣の役から降ろすために」もう一人別の「悪を遠慮なく押し付けさせられる獣」を出して、そこに神崎の怒りと憎しみをスライドさせるわけじゃないだろうな?
「何が何でも琴音を追い詰めて、必ずテロを起こすように仕向ける黒幕」という都合のいい存在に、「悪」と「負の感情」を全部押し付けて、めでたしめでたしとかじゃないよな?
それは「めでたしめでたし」じゃなく、ただもぐら叩きをしてさも解決するフリをして誤魔化しているに過ぎない。
大丈夫かいな、と今から心配だ。
「人が自分の悪性や負の感情を引き受けるのは難しく、要領よくドミノ倒しして他人に押し付けて、自分の物ではないフリをして生きて行くしかない」
こういう話は見ていてイラっとする。(結局こうするしかない、というのが現実だから余計に)
ちゃんと納得がいく結末でありますように。なむなむ。