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「世界が余りに強大で不可解すぎて、人間の個体差など無意味」というチートと逆の設定が好き。

「ケントゥリア」の五話を読んだ。
 これは自分が好きそうな話だな、と期待がふくらんでいる。

 この大陸の八割が森だ。
 俺たちが薪作りや狩猟に使うのは『浅瀬』ばかりだからな(略)
 森の深奥は未知。人知の及ばぬ神域(略)そこに人が足を踏み入れれば帰ってこれない。

(「ケントゥリア」暗森透 集英社)

「世界の全貌は人には理解できない」
「人は何一つ意味もわからず世界の隅っこで生きているだけ」
「人の個体差(能力差)など、世界から見ればミジンコと蟻程度の差しかない」
という世界観が大好きである。
 ホラーが好きなのは、ホラーというジャンル自体がこういう世界観だからだ(クトゥルフ神話が典型だけど)
 この逆の「万能感を楽しむ話(チートなど)」は、昔からほぼ興味が持てない。

 五話でアンヴァルが仕える王「至高き君」が出てきたが、

(「ケントゥリア」5話 暗森透 集英社)
(「ケントゥリア」2話 暗森透 集英社)

二話で出てきた「海の眷属」と同じ眼をしている。

 理解できない強大な存在に対する「それが神であるが魔であるか」(自分にとっていいものであるか悪いものであるか)というのは、人が生きていく上でのただの便宜的な認識にしか過ぎない。

 それらは人間が安心するために「こういうものだ」と決めたにすぎん(略)わかっとるのは、人とそれらすみわけができとるってことだ。理由がない限り、お互いが関わることはない。

(「ケントゥリア」5話 暗森透 集英社)

 本来、それは神でもなく魔でもなく、人間のことなど気にもとめずただそこに存在するだけのものだ。「理解」したと思わないと生きていけないから、「守護してくれる神」「触れてはいけない魔」と断片を理解したと思い勝手に畏怖し崇める。
 こういう世界観では、理屈抜きの経験則が非常に強い力を持つ。

(「ケントゥリア」5話 暗森透 集英社)

 一見、不合理に見える行動は、口伝されるうちに意味が抜け落ちその行為のみが伝わったケースが多い。本来は、それには必ずそうしなければならない理由がある。
 アフリカ関連の本を読むと、文字はほとんど発達せず口承(と絵)が強い力を持っている。呪いや予言など今の時代から見ると馬鹿馬鹿しく思えても、世界は理解できず畏怖すべきものと捉えていた人たちにとっては重要な知恵だった。

「百人分の命」という『人間』離れした力も、世界に対しては誤差程度の能力でしかない。
 一話からの流れを見ても、対世界の軸では、ユリアンも普通よりもちょっと頑丈な子供程度の扱いな気がする。
 というより、こういう世界で人がどう生きていくかという話が凄く好きなので、そうであって欲しい。

「世界や自然が圧倒的に強大な中で、少年が成長していく」と聞くと、マッカーシーの国境三部作を思い出す。
 コーマック・マッカーシーの作品が好きなのも、「人間にまったく興味がない強大な世界の無関心と気まぐれに、人間が翻弄され死んでいく話」だからだ。

「ケントゥリア」は少年漫画なのでそこまでシビアなストーリーにはならないとは思うけれど、ユリアンが経験則を積み上げながら命がけでサバイブしていく話になるといいな。

*前回二話までの感想。


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