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【「鬼滅の刃」キャラ語り】継国巌勝はなぜ鬼になったのか、なぜ物事の認知の仕方がおかしいのかについて話したい。

※本記事には「鬼滅の刃」の原作のネタバレが含まれます。
※解釈違いがOKのかたのみお読みください。

「柱稽古編」が始まったこともあり、久しぶりに巌勝のことを思い出した。
 自分が巌勝に興味を惹かれるのは、言っていることが支離滅裂すぎてそれが何故なのかと考えてしまうからだ。

 巌勝は知覚自体は歪んでいない。しかし外から受け取った情報に対する解釈がおかしい。
「その発想はいくら何でも無理があるだろ」という解釈をわざわざ(としか思えない)する。

 例えば、家を出る縁壱が別れを告げにくるシーンだ。
 このシーンは巌勝の回想なので巌勝の視点である。

(引用元:「鬼滅の刃」20巻 吾峠呼世晴 集英社)

 巌勝は、縁壱がこういう表情をしていること自体は認識している。
 ところが↑の縁壱の様子に対する解釈が、

(引用元:「鬼滅の刃」20巻 吾峠呼世晴 集英社)

「また笑っている。そんながらくた、何がそれほど嬉しいのかわからない」である。
 むしろ巌勝が「何がわからない」かがよくわからない。

 次に鬼狩りになった縁壱と再会したシーンである。

(引用元:「鬼滅の刃」20巻 吾峠呼世晴 集英社)

「縁壱は強く、そして非の打ち所の無い人格者になっていた」というように、ここでも認識は一般的である。
 巌勝は消滅する直前に「縁壱、私はお前になりたかった」という気持ちを吐露する。
 このシーンを思い返して、なるほど「強く、そして非の打ち所が無い人格者」である縁壱になりたかったのか。
 そう思うが、↑を良く読むと巌勝は「私はその強さと剣技をどうしても我が力としたかった」と考えている。
 え? 「非の打ち所の無い人格」は?

 巌勝が「縁壱と同じくらい強い剣士になりたい」というなら「強さと剣技」にしかフォーカスしないのもわかる。
 だが巌勝は「縁壱になりたかった」のだ。
 人格はいらないが「縁壱にはなりたい」
「わざとか?」と思うくらい言っていることが無茶苦茶だ。
 また巌勝は回想で「縁壱に嫉妬していた」と言っている。
 だが読み返して思ったが、「巌勝が縁壱に嫉妬していた」と言われてもまったくピンとこない。

 巌勝はメタ認知(この言葉、余り好きじゃないが)が異様に苦手だ。
 縁壱は「私は鬼無辻無惨を倒すために、強く生まれたのだと思う」という言葉でもわかるように、呼吸するようにメタ認知して生きている。

ということを踏まえて、同じ物事に対する二人の認識を比べてみる。
 後の巻では、縁壱が巌勝との関係を回想する。

(引用元:「鬼滅の刃」21巻 吾峠呼世晴 集英社)

 縁壱の視点では「私の兄は優しい人だった。いつも私を気にかけてくれた」となっている。
 対して巌勝の自己評価では、幼いころの巌勝は縁壱を「憐れんでいた(見下しているというニュアンスを若干含んでいる)」となっている。

 母親の病気を見抜いていたことを通して「縁壱の観察眼のほうが巌勝よりも優れていること」は証明されている。そして縁壱のほうが巌勝よりもメタ認知に優れていることも合わせると、縁壱の認識のほうが事実に近いと推測できる。
「巌勝は優しい人である」
 これが事実であり「だから縁壱は兄が好き」なのだ。

「巌勝は優しい人だ」とすると、巌勝の回想はさらにおかしい。
 例えば↓のシーンである。

(引用元:「鬼滅の刃」20巻 吾峠呼世晴 集英社)

 母親が死んだ後に、「母親が病気で左半身が不自由なことに縁壱が気付いていたこと」に巌勝が気付いたシーンだ。
 このシーンの巌勝は、母親が死んだ直後だが母親のことなど何も考えず、ひたすら自分が気付かなかったことに気付いた縁壱の天才に嫉妬している。
 これが剣技のことについてなら納得がいく。
 もしくは巌勝が自分のことしか考えない人間なら納得がいく。
 しかし巌勝は、不憫な弟を庇って父親に殴られるような「優しい人間」だ。
 母親の死を脇において、母親の病気に気付いた弟の才能に嫉妬して憎悪するのは、どう考えても辻褄が合わない。

 ということは、これは巌勝が自分のことについてこう考えているだけで、他の多数の人の感覚で見れば違うのではないか。
 巌勝が「弟への嫉妬と憎しみ」と解釈したものは、本来は「母親の病気に気付かなかった自分への怒りと母に対する申し訳なさ」と解釈されるものなのではないか。
 もう一度言うと、巌勝はメタ認知が物凄く下手なのだ。

と考えると、この後の回想で巌勝が「弟への嫉妬、憎しみ」と感じているものは、一般的な感覚で言えば違うものである可能性が高い。

 巌勝が縁壱に持っていた感情は、巌勝がそう表現せざるえなかっただけで、嫉妬でも縁壱になりたかった(憧れ)でも憎悪でも嫌悪でもなかったのではないか。
 だから通して話を聞くと、矛盾だらけに聞こえるのではないか。

 回想シーンが字義通りの意味かどうか怪しいとすると、巌勝は縁壱に対して本当はどんな思いを持っていたのか。なぜ鬼になったのか。

 結論を言うと、巌勝が鬼になってでも否定しようとしたのは「巌勝に対する縁壱の愛情」では、と自分は感じた。
 巌勝は鬼になったのは、縁壱に幻滅して欲しかったからではないか。
 だから巌勝の回想は自分を貶める要素ばかりで構成されているのだ。
 
・子供のころ、弟を憐れみ見下しがちだった
・天才である弟を憎んで嫉妬している
・母親の死の直後でさえ、弟への妬みや将来への不安(自分のこと)で頭がいっぱいである
・自分に愛情を示す弟を気味悪く思う
・自分の欲望のために鬼になった

 巌勝は「縁壱を幻滅させるために作り上げた自己像を事実だと信じ込むという方法」を取ることで、「縁壱が自分を慕っている」ということをかろうじて認めずに済んでいるのだ。
 笛のシーンで認知と解釈が大きくズレているのも、縁壱の愛情を認識しないために取っている方法のひとつである。

 巌勝は縁壱に執着しているのではない。
 縁壱(の愛情)から逃げたかったのだ。

 なぜ、巌勝は縁壱の愛情「縁壱が自分を慕っているという事実」から逃げ回るのか。
 以前書いたように、巌勝にとって縁壱は神だからだ。
 巌勝は縁壱に「自分の弟」をやめて欲しかったのだと思う。
 巌勝は縁壱を神として一方的に崇めたかった。
 それこそ、憎んで執着して自分が必死になって追いかけたかった。縁壱には「俗なもの」「つまらないもの」として、自分を見下し無関心でいて欲しかった。
 ところが自分が一方的に執着して追いかけて求めたいと思っている神の如き存在が、何をしても揺るがない愛情を自分に向けてくる。
 その愛情をリセットするために、仲間を裏切り主君を殺して鬼にまでなったのだ。

「お前がいるとこの世の理が狂うのだ」という台詞があったが、巌勝にとっては、自分など道端の石ころのように蔑み無視する縁壱に自分が執着し、必死に追いかけて憎む構図こそが「理」なのだ。
 巌勝は「狂った(と自分が信じる)理」を正すために鬼になった。

「鬼滅の刃」は、「人の絆という神」には誰も勝てないという世界観なので、巌勝は絶対に縁壱の兄ではないものにはなれない。
 物語の世界観でそうなっている。
 巌勝は最後の最後まで「優しい兄」「おいたわしい兄上」であり、何度生まれ変わっても縁壱と巌勝は兄弟である(妓夫太郎と堕姫がそうであるように)
 兄上、おいたわしや。←失礼な発言。

 それにしても、自分、本当に兄上が好きだな。

※ちょっと考え直した。


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