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大切な言葉

子育てする中で、たくさんの言葉に助けられてきました。

その中のひとつ
「子供は親を喜ばせるために、産まれてくる」

どこで聞いたのか、読んだのか覚えてはいないけど、私なりの間違った理解の仕方かもしれないけど、この言葉に助けられて、過ごしてきました。

我が子が心や体を病んだ時、どうしても心配して、顔に出してしまう。笑顔になれず困り眉になったり、もちろん言葉にも。

その言動を見て子供は
「お母さんが悲しんでる。自分はダメな存在なんだ。お母さんが悲しむのは、自分のせい」

極端かもしれませんが、親の悲しみや怒りを、子供は「自分がいけない子だから」と感じることがあるそうです。
私自身も幼児期に、経験した覚えがあります。
両親の喧嘩を見た時「私のせいだ」と感じました。

胸が苦しくなり、その場から逃げ出したい、いたたまれない気持ちになった事を、今でも覚えています。
笑いで誤魔化すなどのセンスを、私は持ち合わせておらず、ただ泣く事しかできませんでした。

あの時の私を、今抱きしめて「あなたは悪くない、あなたのせいじゃないよ」と、教えてあげたい。

自分の子育てを振り返ると、自分が感じた辛さを、我が子にも味あわせてしまっていたと、反省ばかりです。


私の中での「喜ばせる」とは、「育てる」の意味も含んでいます。

「子供は親を育て、喜ばせるために産まれてくる」
そう考える方が、私にはしっくりときます。

「私たちがお母さんの子供で産まれたのは、ボランティアだからね。よその子がお母さんの子だったらかわいそう」
我が子から言われた言葉です。

この言葉、私の大切なバイブルです。
どんな思いで言ったのか聞いたことがありますが、自分が言ったことは忘れていて、「そんな酷いこと言ったんだ、ごめん」と、謝られました。

目の前の我が子がもし隣の家の子だったら、今言おうとしている言葉と同じことを言うだろうか。
よその子にだったら、どんな言葉をかけるんだろうか。

我が子だと思うと、強い言葉、態度になりそうな時、「ボランティアでこの家に産まれた」と思うと、距離を置けることに気がつきました。

心配するのは親だから。でも、信じきるのも親だから。

殺人犯のお母さんが
「我が子は無実です」
と、街角に立つニュースを見たことがあります。
本当はどうなのかわからないけど、私だったらできるだろうか…。
信じたいけど、「信じきる」ことはできるだろうか。

我が子がどんな状況でも
「あなたなら大丈夫、きっと乗り越えていけるよ」
と、エールを送り続ける一人になりたい。
「なる」ではなくて「なりたい」と書いたのは、いまだに「育ち盛り」なのかな…。

子育て、親育ち真っ最中のようです。

締まりの無い文章になりました。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました😊

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