08/10/2020:『 Sigurado』
タマリンド・ペーストがあるのを初めて見た。
彼女はニンニクを潰し生姜をすると、多めの油で一緒に炒め出した。湯引きしておいた鳥もも肉を入れて塩をふり、そこに溶き卵を三つ分流し込む。
僕は油の池の中で卵がクラゲみたいにヒラヒラするところを眺めていた。
「待ったなしよ。ご飯入れるわ。」
そう言うと、半解凍しておいた白ご飯を突っ込んで、お玉で豪快に混ぜ合わせ始めた。全てが卵に包まれていく。フライパンの中のみんなが一斉に黄色いカーディガンを着ているみたいだ。
「塩って思っているよりも多く入れないとね、パンチが足んないのよ。」
後から魚醤も入れるはずなのだが、彼女はサンドアートみたいにして塩をつまみ入れた。
太めのもやしを入れ、細かく切った葉ネギも放り込んだ。
「さ、魚醤、唐辛子、タマリンド。」
換気扇へと吸い込まれる煙は、それだけには収まらず、向かいで見ている僕にまで届いてきた。
遠い南国、アジアのどこか。
どうやったらこんなに安く作れるんだろうと言うくらいに安いチャーハンはその辺にいくらでもある屋台で、日本のどこにもないくらいに美味しく食べられた。
でも、彼女はそれを今、この駅近徒歩5分の小綺麗なマンションで作っている。
「私ね、向き合いたいの、とことん。だから、手始めに、今週はこのチャーハン4回目。」
豪快に炒めながら微笑む。
額に張り付いた産毛がペンギンの赤ちゃんみたいだったけど、ペンギンの赤ちゃんは南国にはいないから、代わりの動物を探し出そうとした。
でも、思い浮かばずに、言うのをやめた。
「はい、完成。今日の出来も、いい感じだわ。」
お皿には丸く収まったチャーハン。
もやしはまだシャキシャキで、ご飯は湿りながらもパラパラで、しょっぱい酸っぱい香りが広がる。
遠い南国、アジアのどこか。
駅近徒歩、5分のマンション。
彼女はおでこの汗をペンギンが頭を搔くみたいにして拭うと、
「これでどう?私と結婚する気になった?」
と、自信ありげに尋ねてきた。
「もちろんさ。」
と、僕は言った。
「何よ、まだ食べてもいないくせに。まぁ、いいけど。」
彼女はそう言い返すと、エプロンを冷蔵庫のマグネットフックに掛けて、立ったままスプーンで一口食べた。
ほころぶ顔が本当に南国にいるみたいで、外の台風に揺れる窓ガラスの音までも心地よく感じた。
僕が、もちろん、と感じたのは彼女の心意気や勢いやそう言う部分に対してだった。彼女とならきっとうまくやれる。やれなかったとしても、やれるような気がする。そう思わせる力があった。
「うん、いいわ。金色になって寝そべりたいくらいに美味しい。」
それを眺めながら、
「僕にも一口ちょうだい。」
と、言った。
「どうぞ、自分で食べて。」
と、彼女はスプーンを渡してきた。
南国のペンギンは、誰よりも優しく、しなやか。そして自分の好きなように笑い、生きる。
金色の皿から湯気が昇り、立ち込める。
余計に、そう感じた。
・・・
今日も等しく夜が来ました。
UDDで『Sigurado』。