14/08/2020:『Afro Blue』
空港 1
免税店エリアを過ぎて、F20ゲートにつくとカウンターでチケットを見せた。
「はい、こちらで大丈夫です。今は前のフライトが表示されていますが、もう10分もすれば、切り替わりますよ。まだ時間ございますのでごゆっくり。」
舞台女優みたいに背筋を伸ばしたスタッフは軽くウィンクを寄越すと、また手元のキーボードをカタカタし出した。
フライトまではまだ90分程ある。2つのスーツケースは預けてしまって、今はパソコンの入ったバックパックひとつだ。
「そういえば、来る途中に…。」
窓際の通路にバーカウンターがあったはずだ。この時間なら2、3杯は飲めると思う。チケットとパスポートをしまって歩き出した。
世界は秋のちょうど真ん中にあって、僕は薄手のカーディガンを羽織っているが、すれ違う人たちには半袖が多くて、どうして寒くないんだろう、といつも不思議に思う。
白いむき出しの柱が床から抜き出て天井に突き刺さる。見上げると天井には所狭しと梁が巡っていて、いつかドキュメンタリーで見たジャングルの景色を思い出させた。湿った土を踏むトレッキングシューズ、巨人の足のように太い木、絡みつく無数の蔓。どうしたって手がかりなしでは抜けられない森は、ただ大昔からそこにあった。
僕はそのまま白い人工のジャングルを進んだ。
・・・
昔 1
「帰る時は連絡してください。必ず。」
と、言われていた。
大人になるにつれて、多くの人とコミュニケーションを取る機会はなぜか減っていって、なのにどんどん1人が楽になる。生きるということはステージを進めていくことで、昔のステージにいた仲間は必然的にいなくなる。それはそうだと思う。今まで大きな船で旅をしていたのが、それぞれの事情を好きなように積み込めるボートに乗り換え始めたら、クルーは少なくなる。
そして、最終的に乗るボートはきっと1人乗りなのだろう。
だから、僕はこうして毎年帰国するごとに「帰りますよ」と連絡を取る人も、はたまた「そろそろ帰国かい?」と声をかけてくれる人も少なくなり、それは身軽で自由でもあるし、そして同時に帰国という作業の意味がどこか薄れていくことでもあった。
そんな中、なぜか彼女のことだけは思い出す。年に一度しか会わないことをどう思っているのか。彼女の気持ちは測れないし、また僕自身の心持ちもうまく整理がついていない。
ただ、彼女は、
「帰る時は連絡してください。必ず。」
とだけ言い残して、あの日改札の向こうへと消えていった。
・・・
空港 2
窓に向かってコの字型になったバーカウンターにはビールのタップがいくつかついていて、ジャストサイズの黒いTシャツを着たバーテンダーが爽やかに働いていた。
「旅行?仕事?」
と、言いながらギネスビールをくれる。
「どっちでもない、かな。」
と、クレジットカードを渡しながら、受け取る。
窓の外には、荷物を運ぶムカデのような車両や無線ヘッドフォンみたいな耳当てをつけた人たちが一生懸命働いていた。轟音と強風に煽られているはずなのに、こちらからは無声映画のなかでちょこまかと動いている人たちに見えた。
秋の景色が柔らかく滑走路にかかる。
「これから急に気温が下がって、そしたらあっという間に冬がくるよ。」
客は僕しかいない。気さくに話しかけてくれた。
「半袖、寒くないの?」
彼は白い歯を見せて笑いながら、
「今はね。来週からはちゃんと長袖を着るさ。」
と、言った。
空港内には色々な人がいる。上下お揃いのジャージ、それをさらに2人お揃いで着るカップル。人形を抱えながら頑張ってお父さんについていく女の子。オレンジ色の袈裟を着た僧侶たちのグループは、みんながみんな隕石みたいなスニーカーを履いていた。さすがに空港を裸足では空歩かないのか。
白い人工のジャングルから放射状に飛び立つ飛行機たちは、風に運ばれる綿毛のように散り散りになっていく。
ケータイを取り出して、メッセージを開く。履歴のないチャットにはただ背景画面が映し出されて、どちらが先に声をかけるのかを待ち構えているようだ。
バーテンダーはちょうど僕と反対側に陣取った旅行客を相手に、飲み物を作っている。シェイカーの中で揺れ動く氷の音がまっすぐこっちまで聞こえてきて、場内アナウンスの声と重なった。
僕はケータイをポケットにしまって、席を立つと、そのままゲートへと歩き出す。
バーテンダーがまた白い歯を見せて、
「いってらっしゃい。」
と、声をかけてくれた。
カウンター越しの窓の外。
無声映画は同じシーンを繰り返しながら、向こうの空を白い綿毛が飛んでいった。
・・・
今日も等しく夜が来ました。
Robert Clasper Experimentで『Afro Blue(Feat. Erykah Badu)』。