03/11/2020:『So Long』
空の紫色がその勢力を拡大する頃、僕はまだカフェのカウンターにいて冷め切ったコーヒーをまた一口と飲んだ。僕が入った頃にいた他のお客さんたちはもう散り散りに、そして新しい顔ぶれが1周半くらいしただろうか。いずれにせよ、僕は長いことここにる。
最近は職場に行かずとも家で仕事ができるようになり、それで気が付いたことは、思っていた以上の何倍もオフィスに行く必要がないということ、余程の急ぎでない限り人は待つことができるということだった。
「仕事してるんだけど、してないみたいだな。」
と、ダイニングテーブルで思ったりもした。
それでも一日パソコンに向かっているのは目にも心にもよくないから、こうして夕方前のカフェにきていた。
交差点にはひっきりなしに車が現れては消えて行き、相変わらずだと感心しつつ、でも前に比べてメッセンジャーの姿がかなり目立っていることにハッとする。
緑、オレンジ、黄色。それぞれのアプリケーションのロゴがプリントされた四角いバッグ。
「今だけなのかしら、それともずっとなのかしら。」
この変化は今の騒ぎが落ち着いた末、日常へと昇華するのか、あるいはただの一過性のもののままで終わって行くのか。
とはいえ今、その真っ只中にいるもんだから、僕にはわからない。
iTunesを開いて曲を探す。
紫色がまた濃く広くなって来た空。
「なんでもない時、なんでもない時なのよ、思い出すのは。」
と、彼女は言った。
特別染みったれた夜でも、爽快感あふれる朝でもない。
なんと呼んだらいいのかわからない時間に、きっと思い出す。
それが彼女の最後の言葉だった。
どんなに目まぐるしい変化の中にいても、あるいは無気力がどこまでも続くような1日でも、そこには必ずなんでもない時間というのは存在していて、そこで滑り込むように僕の心に水を差すのだ。
だから、こうしてまた曲を選んで、
「そうだよなー。」
と、一人呟いた。
交差点のカフェ。また誰かが入って来て、そして帰って行く。
色とりどりのバッグ。届けに行くのか、取りに行くのか。
紫色の空。暮れていき、また夜がくる。
僕はもう少しだけ残ることにした。
・・・
今日も等しく夜が来ました。
Sam Cookeで『So Long』。
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