27/09/2020:『On Melancholy Hill』

コンビニで買ったアイスラテのミルクが濃くて、少し胸焼けしそうだった。どこかの国にある高い山をあしらったデザインが涼しげで、だから辛うじてそれだけで飲みつづけることができている。

「あれ、お前タバコやめたんやっけ?」

ATの業務用バンは大きな車体のわりに運転がしやすいらしく、彼は片手で器用にハンドルを握りながら、そしてサイドガラスに乗せた右手にはタバコがあった。

「ん、やめたわけじゃないよ。ただ、しばらくの間吸ってないだけ。」

都心の陰っ側にあるこの地区は、高層ビルを向こうに臨んでいる分いつもの夜よりも暗く感じた。彼に合わせて僕の方も窓を開けていたから、涼しくなった秋の風が時速60kmの僕らをなでつけている

「一本吸うけ?」

と、彼はダッシュボードに置かれた箱を顎で指した。半開きの蓋、中には100円ライターが差し込まれて入る。

「んー、もうちょっとしたらもらうよ。サンキュ。」

Bluetoothで繋がれたiPadを操作して曲を選ぶ。いつからか、僕らはCDで音楽を聴かなくなっていた。音楽を聴く、という行為がどこから始まりそしてどこで終わるのか、その形も昔とは違ってきている。

それでもいい。ただ、音楽をかけて走っていれば。

タバコの香りが少しだけ車の中に入ってくる。

僕は指でリストを上へと流した。

                 ・・・

急に空が光ったかと思ったら、すぐにどこかに雷の降り注ぐ音がして、

「おー。」

と、二人して唸った。下道の国道を西に向かって走り出して30分くらいだろうか。マンションと一階店舗が組み合わさった建物が街路樹のように並んでいたところから、少し離れて今度は住宅街に入ってきていた。

「こんなところの一軒家って、どんな感じなんだろ。」

と、僕は言った。僕の実家は山の中にあって、そして隣近所に家がなかった。だから、こんなに家が密集しているところで生まれ育つことをいまいち上手くイメージできずにいた。

「そりゃ、そうやろうな。さすが自然児や。」

そういう彼は、ずっとマンモス団地群で育ったらしく、実家の住所の最後にはPー527という数字が付いているらしい。

「すごいな。未来に住んでるみたいだ。」

「ま、実際は昭和の盛り上がりの頃に勢いで建てられた団地なんやけどな。エレベーターもなし、踊り場のチカチカ光る蛍光灯と集まる虫。このまま行けば世界遺産になるかもしれん、時代遅れすぎて。」

僕は、いつか写真で見たことのある、旧社会主義国の町並みを思い出していた。枯れた大通りを覆う曇り空。大きすぎる建物と慎ましく生きる人たち。白黒だからみんな同じような格好に見えるのか、それとも本当に同じ格好をしているのかわからなかった。

「俺は何主義でもないで。誰も傷付けたくないし、俺も傷つきたくないからな。だって、ただでさえ俺らは傷を抱えて生きているんやで?それなのにその何ちゃら主義やら、何とか派があるせいで、悲しんでいる人が五万とおる。やから俺はそういうの嫌や。」

住宅街は街灯がまばらで、ヘッドライトが照らす道はいつの間にか雨模様だ。

「でも、それと同じくらい、それに救われている人もいるかも。」

と、僕は言った。

「まぁ、確かにな。」

と、彼はつぶやいた。

曲と曲と継ぎ目に、ワイパーのモーター音が重なった。

                 ・・・

大きな橋をモノレールと一緒に越えると、明るいビル群の中に吸い込まれて行く。古くからある港がそのまま発展し、そして近未来型の総合商業地区やビジネスセンターの集まる地区へとなった。急に広くなる道路、高くなるビルのガラス窓、そして高級車。

「でも、やっぱり働く車が一番イケてる。」

と、僕はサイドガラスを下げて、雨が止んだことを確認しながら言った。彼のバンは社用車で、後ろには音響機材なんかが積まれていた。

「当然やろ。心意気がちゃうねん。」

そういって、彼はまたタバコに火を付けた。

ロックスターでも下から出てきそうなくらいに広い交差点を左折して、海沿いの駐車場へと向かう。

「お、船いるじゃん。」

車を停めて海隣公園に向かうと、柔らかくライトアップされた客船が停泊しているのを見つけた。白い船体に紺色のラインが安全な航海を約束してくれるようだった。

夜の海は真っ暗でそれでも足元のテトラポットには打ち付けるようにして波がちゃぷちゃぷと音を鳴らしている。柵に寄りかかって街並みを振り返る。ビルの灯りに照らされて、その周りの空もうっすらと明るくなっていたから、ちょっとだけ雲の流れるのが見えた。

「あいつがおる国に船まで行ったらどんくらいかかる?」

と、彼が言った。あいつ、とは僕ら3人でつるんでいたうちの一人のことだろう。実は今僕は海外に住んでいるのだが、こうして一時帰国のたびに必ず3人で会っていた。しかし、今年はそれが叶わなかった。あいつは、突然消えた。噂によると、情勢が安定しないよくニュースで聞くような国に行って、戦場を駆け回って写真撮っているらしかった。が、その真意も定かではない。

「インド洋を渡って、上手く運河に入れたら、あとは地中海を東に回り込むだけ。実質、3ヶ月から半年もあればいい感じじゃないかな?」

と、僕は言った。

でも彼が本当にそこにいるのかはわからなかった。僕らも本人から聞いたわけじゃない。彼の仕事仲間だという人から聞いた。でも、その仕事仲間だという人も本当に存在しているのか分からなかった。誰も、何も分からなかった。

だから、僕らとしては、”きっと彼はそこにいる”という了解の下で生きていくことにした。そうしないと、色々と支障をきたすことがあるから。例えば、気持ちの整理とか。

「そうかぁ。それならまぁええか。まぁ、探しに行こうとは思わんけど。お前んとこまでは船で行きたくないな。裏側やもん。」

彼はそういうとタバコに火を付けた。僕が一瞥くれると、

「灰皿は持っとる。」

と見透かしたように言った。

相変わらず波は黒く絶えず僕らの足元を打ち続けている。ビルの周りで明るく照らされた夜空は、暗闇のの境目が見えなくて、端まで目で追っても気がつくともう闇の領域になっていた。

「吸うけ?」

と、彼が箱を差し出た。潮の香りがする。

「うん、ありがとう。」

僕は受け取ると、箱から100円ライターとタバコを一本取り出して、火を付けた。ジョリっと小さく火花が散る。

二つの細長い煙が夜に昇っていく。

彼が行ってしまった領域には僕らは踏み込むことができなくて、だから、ただ僕らはこうして”きっと彼はそこにいる”と願いながら待つしかなかった。

ぼーっと僕らは二人して佇んでいて、帰りの車で聴く曲はどうしようかなんて時々話したりした。

波が打ち付ける音が聞こえた。

                 ・・・

今日も等しく夜が来ました。

Gorillazで『On Melancholy Hill』。



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