15/10/2020:『Steal Away』
日本でいうと地方のショッピングセンターみたいなところだろう。広めのスーパー、適当な洋服店、変わり映えのしなさそうな書店なんかが入っている。
「でも、どうして電気つけないんだろう。」
と、僕はいつも思った。この国は空港も、バスターミナルも、なぜか昼間に電気をつけないから外の方が明るいくらいだ。
薄暗い店内はどの食材を見ても萎んでいるように見えてしまうし、洋服だって時代遅れに思えるしー実際そうかもしれないー、本屋はどんな本が売っているか背表紙を探すだけで目が疲れた。
「いらっしゃいませ。」
と、声をかけてくる店員だって一人もいない。皆それぞれが各自の仕事に夢中になっている。
でも、必ずしもそういう風に見えるわけでもない。やることはきっとやっているんだろうけど、何処と無く、”仕事<自分のリズム”、という雰囲気でいる。
だから、せかせかもしていないし、ざわざわもしていない。
時間の流れというのは絶対に感じるものではなくて、相対的に捉えられるものだ。
僕はここに来るととても不思議な気持ちになる。
寂れた薄暗い店内の終末感と、半音下げたサンプリング音源がもったりと流れるような空気。
「いいのよ、そんなんで。日本は何でもやり過ぎなのよ。びがびが光っていればいい、なんてこともないでしょ。だいたい、昔は自然光と提灯で生きていたのに、それが何よ、ここ70年80年くらいの話じゃないの?」
と、写真を見せた時に彼女は言っていた。
「別にいいのよ、そんなの。もっと大切なことあるでしょ。」
とも言っていた。
・・・
BGMも流れていないことに気がついたのは最近で、適当な口笛を吹いた時だった。しんと静まった店内にはカートの車輪やレジが開く金属音がクリアに聞こえるだけで、余計なものは一切含まれていない。
人工的な環境の中で自然に聞こえてくる音を、自然音、と呼んでいいのかはわからないけど、でも、そんな感じがした。
・・・
どこのことも懐かしいと感じたことはないし、あの頃に戻りたいと思ったこともない。別に、いまが一番いい、というわけでもないけど、ただ今を今のようにしか僕らは生きられないのだから、そうやっていくしかないんじゃないかと思う。
だけど、この薄暗くて余計な音がしないスーパーのことはこの先もずっと覚えているような気がする。
いや、覚えているということは嘘で、思い出すことがあるだろう、と言った方が正しい。
記憶も思い出も、きっとそんなものだ。
そして、思い出した時にはもう別物になっている。
このショッピングセンターのことを思い出す時も、そうなのかしら。
だってほとんど音がしなくて、薄明かりしかないようなこの箱の、どこを忘れてどこを留めておくのだろう。
まぁ、いいとしよう。
記憶も思い出も、きっとそんなものだ。
・・・
今日も等しく夜が来ました。
Charlie Hadenで『Steal Away』。