ワンオペなのに脱・ワンオペの記事を書いたわけ。
ひとりで疑問に答えます。
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身内(ママ友)に反響のあった
「脱・ワンオペ。夫がいて劇的に変わった2日のこと」
@MAMApicks.
結びの「我が家はようやくスタートラインに立った」はずが、8日(1日母が来てくれ、夫が半日いたのをのぞけば、14日か)ワンオペしているのは、夫が仕事関係の「精神と時の部屋」に入っているからである。パワーアップしているかは知らんけど。
夫から「3月後半は精神と時の部屋だから」とさっくりいわれ、グーグルカレンダーに長~い棒が入り、あーそうですか、とすんなり流してしまったのだが、それが間違っていた。
それって受け入れるってことですよね?
逆の立場なら私は長期の不在を相談するし、お願いしようもんである……。
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話は10年前にさかのぼり、私たちの結婚式が終わってどなたかに
「どんな家庭を築きたいですか?」と言われた時、
とっさに私は「夫を応援していける家庭をつくりたい」と言ってしまった。
自分のなかに内助の功らしきものがあったという驚きと、
しかし前提に「夫も私を応援してくれること」が含まれているのだと気が付いた。
応援……具体的に何か。
私の解釈では結婚を理由に禁止することをしたくない、というものだった。
※限度はあります。
趣味は極めればいいし、転職もすればいい(相談はしてほしいが)。
ただ出産後は事情がガラッと変わることに私も夫も気づかずなし崩し的に来てしまった。
「ワンオペ育児」=ワンオペレーション。育児をどちらかの親のみが行うこと。
という言葉を知り、それには肉体的精神的苦痛が伴うのが一般的だと知ったあと、これは一般的なことだったのかああ!!とホッとしたのを覚えている。
自分だけ、できないものじゃないんである。
なんでこんなにイライラが止まらないんだろうと未熟な自分にゲンナリしていたのだが、それが普通。辛いって言っていいものだったんである。
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お母さんたちの中には知らずに醸成された価値観があると思う。
タチが悪いのは、無意識にその価値観をもとに意識と行動が組み立てられることだ。
私は男親も女親もひとしく子どもの親であるのだから、子育てにおける楽しいこと、辛いこと、面倒なことは半分こがいいなと書いていながら、私の両親がときどきはっきり言動に出す「育児、家事は女の仕事」というものから脱し切れていない。
私と同じようなママ友はいて、「こうしたい」はずなのになんだかズルズル引力が働いて、現状は思い描いていたものと違う結果になっている、という人はけっこういるように思う。
じゃあ「こうしたい」を実現するには?
哀しいかな、夫と相手を理解しあうことを避けられない。
一番近くて遠い「他人」と認め合う→理解しあうというのは、ものすごく難しい。
実は、夫の理解を得ず、価値観の合うママ友と固まって母子コミュニティのなかで十数年をやり過ごし、気づいたら子どもが自立していたというほうが、水が低きに流れるようにラクなのだ。
言い換えれば、母親は自己犠牲っぽく過ごしていた方がラクなんじゃなかろうか。
改革をせずに、夫の愚痴を言い、ママ友と固まって、子どもの一挙一同に悩む方がラク。
価値観の違う夫と理解しあうために話し合いを重ね、信頼を作り、生活を積み上げるのは、どうどうと流れる川を逆流するように抵抗や摩擦があることを覚悟せねばならず、歩みは早くない。ハードである。
(※旦那さまの性格性質によります)
結婚すれば、お互いを理解できるのは「当たり前」だと思っていたのは甘く、私はチャレンジングな愛すべき人物を夫にしてしまい、子どもを生んでしまい、気づいたら長子は小学生になっていた……というわけだ。
基盤を盤石にしないとこれから先、立てない。何も建たない。
ジャスト40の今年は、人生の記念年になりそうである。
要は、親が2人いるのに、私1人で回すのが寂しい、不満ってことである。