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保育園年長から大学進学までの13年間の子育て奮闘記④

今現在、シングルファザーとして育てた『息子とのこれまで』について、全7回に渡ってお伝えしています。

今回は、息子の小学校時代の育児を振り返ります。前回の記事で、小学校期間の育児と向き合うために学校区を変えた話もしました。小学校6年間通った結果として、その選択は間違ってはいませんでした。しかし、息子が小学校に上がったころはシングルファザーであることが嫌で仕方なかったです。いくつかのエピソードを振り返ります。

小学校の入学式

小学校の入学式は、本当に嫌だなと感じました。

この日は、ほとんどのご家族が両親で揃って参加していました。周囲が華やかに見えるとともに、たちまち自分が侘びしく感じました。中には、片親だけ来ている家庭もありましたが、男親だけというのは私だけでした。一般的に、母親が一人だと『夫が仕事で忙しい』と言う台詞がまかり通ります。しかし、父親ひとりだと事情ありに見えてしまったように感じました。

集合写真を撮るときは、もっと嫌でした。息子はこの状況を『どんなふうに思っているのだろう』と考えると、けしてよい方へは想像できず、もっと心苦しくなっていました。そんな、幸先を不安に感じる小学校のスタートとなりました。

運動会のこと

運動会は、嫌だったというより困っていました。とくに、お弁当に困りました。普段のお弁当でさえも頭を抱えていた私は、子どもが運動会で喜ぶお弁当作りなど到底検討もつきません。また、運動会当日に誰とお弁当を一緒に食べるのかといったことも大きな課題でした。

当時、運動会のお弁当の時間といえば子どもにとっては大きな楽しみのひとつだったはずです。友達家族と、自分たち家族で共に弁当を囲う時間は大きな楽しみだったことでしょう。

父親しかいない息子は、両親が揃うことはありません。母親が揃わない代わりに祖父母を呼ぶという選択もありましたが、何だかそれも違うような気もしました。親と友達と一緒にお弁当の時間を持たせてやりたかったです。

しかし、男親であるがゆえに私は多くのご両親と面識がありません。自分が知らないご家族の中に父子家庭で混ぜてもらうことは、私にとってすごくハードルが高いことにも思えていました。

そんな私に、救いの手を差し伸べてくれたのが知人です。前の記事でお伝えしていますが、子どもが就学する際に、私の一存で校区外の学校を選択し申請しました。理由は、何人かの知り合いがいたからです。

その知人が、困り果てる私のことを気にかけてくれました。『大丈夫ですか?』と。差し伸べられた親切心に対し、私は迷うことなく頼りました。小学校期間中の運動会には、知人が毎年お弁当を作ってきてくれました。お弁当作りが苦手な私を配慮して、息子の好物を聞いて『一緒に食べよう』と誘ってくれていました。お陰で、気兼ねない関係の中、楽しい時間を過ごさせてもらうことができました。

運動会に限りませんが、様々な状況で周囲に助けてもらいながら育児ができました。小学校の様々なイベントは、父子家庭にとって大きな課題でした。しかし、いつも知人たちが助けてくれていました。

シングルファザーとして育児としっかり向き合うには、助けてくれる存在が大切だったと今でも強く感ています。

育児も何もかも、繫がりが必要だと思う

ちなみに、お弁当を作ってくれた方は、今現在、私の運営する介護事業所でスタッフとして働いてくれています。繋がりが育む縁が大切だとつくづく思います。

また、子育の話しとは少し異なりますが他でも繋がりによって良いことがありました。自分が通っていた母校を選択したことで、自分の恩師が校長になられていたのを間近で見ることが出来ました。周囲の推薦によってPTAの役員となれ、恩師に恩を返せたような気がしました。私にとっては、とても喜ばしいことでした。

小学校時代の思い出づくり『旅行』

長期休暇などになると、誰もが家族で旅行に行くような時代でした。子ども達はその思い出を学校で話します。そのことで、息子に寂しい思いをさせたくないと思いました。『うちは父子家庭で行く余裕がない』とだけは、思わせたくなかったです。

とはいえ、ひとり親の私にとって『旅行』は、すごくハードルが高いことの一つでした。育児をしていくには『稼ぐ』と『育てる』といった役割を分担または分業してやっと生活がまわっていくものです。しかし、ひとり親だとその全てを一人で担わなければならない。時間と経費を大きく費やす旅行は、私にとっては本当に大変なことでした。

ただ、息子にも家族旅行を経験して欲しかったです。楽しいと感じて欲しかったですし、周囲との共通の話題に繫がるといいと思いました。また、正直なところ私自身が息子との思い出がほしかったです。

なんとか経費と時間を工面し、毎年2人で東京ディズニーランドへ行っていました。節約に節約を重ねた旅行ではありましたが、息子と旅行に行けたことは私にとってかけがえのない思い出です。とくに、東京に行ったついでに親子でライオンキングを見たことがありましたが、今でも印象深く残っています。

ただ、やっぱり小学校時代は大変だった

小学校時代の育児秘話を語り出すとキリがありません。

正直、困ったことが次から次へと降り注いできました。その多くが、男親一人では太刀打ちできないようなことばかりだったように思います。

この頃、私自身も働き盛りだったため夜も仕事が山のように残っていました。とにかく、することが山積みで時間が足らず八方塞がりの毎日。仕事と育児の両立となると、何かを中途半端にするしかなく自分自身にイライラしていることも多かったです。それでも、私は育児がしたかったです。

一生に一度の息子との子育てを、全力で向き合いたかったです。今も当時も、息子が居てくれることが、私の原動力だったと感じています。

次の記事では、息子が思春期に突入した中学生あたりのことからお伝えします


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齋藤憲嗣
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