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祭りの形式を失った宮中祭祀──三殿の庭上から御告文を奏された陛下(2011年4月4日)


 神社界の専門紙「神社新報」4月4日号に驚くべき記事が載っています。

 東北地方太平洋沖地震発生から10日後の3月21日、今上陛下が春季皇霊祭・神殿祭をお務めになったのですが、伝統の祭式が完全に破られています。

 春季皇霊祭は、春分の日に、歴代天皇・皇族の御霊(みたま)がまつられる皇霊殿で行われるご先祖祭で、春季神殿祭は神々を祀る神殿で行われる神恩感謝の祭りと、宮内庁HPでは説明されています。陛下みずから祭祀を執り行う大祭と位置づけられています。

▽1 耐震改修したばかりなのに


 ところが、です。翌日の次長会見で、宮内庁次長は、「余震が続くなかでの祭祀となるので、御代拝による対応も考えられると検討したが、両陛下はぜひ拝礼したいとおっしゃった」というのです。

 その結果、前代未聞の祭祀が行われることになったのです。

 従来なら、陛下が親祭になり、御告文を奏上され、皇后陛下、皇太子殿下、皇太子妃殿下が拝礼されたあと、皇霊殿に東游(あずまあそび)が行われます。

 ところが、今回は、次長の説明にあるように、「庭上でご拝礼いただくことになった」のでした。

 すなわち、今上陛下はモーニングコートを召され、皇霊殿、神殿の殿舎ではなくて、庭上から拝礼になり、御告文を奏されました。皇后陛下はロングドレス、皇太子殿下もまたモーニングコートで、庭上から拝礼されたのです。

 そもそも宮中三殿は震度8以上の地震で部分的損壊の可能性があるという診断がなされたことから耐震改修が行われ、平成20年春に工事が完了したばかりです。

 今回の大地震では宮城県栗原市で震度7が観測されたのが最高です。気象庁の震度階級では震度7がもっとも高い値です。

 耐震改修された宮中三殿ははるかに高い耐震性を持っているはずですなのに、側近たちはなぜ「御代拝の検討」をしなければならなかったのでしょうか。工事に手抜きでもあったのでしょうか。

 御代拝となったにしても、陛下はその間、御所でお慎みになります。強い余震があれば、危険性は変わりません。御代拝の検討それ自体が意味をなさないのではありませんか。

 今上陛下が皇后陛下とともに、拝礼を強く望まれたのは当然です。

▽2 原則を無視した祭り


 最大の問題は祭りの形式の無原則な変更です。

 宮中祭祀は天皇の、天皇による、国と民のための祭りです。春秋2回の皇霊祭・神殿祭は天皇がみずから祭を行う大祭です。陛下が「喪にあり、その他事故あるとき」は、皇族または掌典長に祭典を行わせるというのが従来のあり方です。

 ところが今回は、これらの原則を完全に無視した祭りとなりました。

 3月19日付け当メルマガに書きましたように、大正12年9月の関東大震災のとき、巨大地震発生から4週間後の9月28日、若き日の昭和天皇(当時は摂政宮)は宮中三殿で「震災並びに帝都復興の事を御親告の儀」を、大祭に準じて、親祭になり、真剣な祈りを捧げられました。

 当時の記録によると、9月24日、台風接近による風雨の中で行われた恒例の秋季皇霊祭は掌典長の御代拝のみで、摂政の御親祭も、皇后の御代拝もありませんでしたが、震災ならびに帝都復興についての神事は、荘重に斎行されました。

 ただ、皇太子は「非常特別の場合であるから」とおっしゃり、摂政宮や皇族は陸軍の通常礼装で、その他参列諸員も通常礼装というきわめて簡素な服装で行われました。震災で罹災した関係者の多くが大礼服を失っているということへの配慮からです。

 今回の対応との違いは歴然としています。

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