
渡邉允元侍従長の「遺言」──『検証「女性宮家」論議』の「まえがきにかえて」 2(2017年4月25日)
まえがきにかえて──宮中祭祀にも「女性宮家」にも言及しない前侍従長インタビュー
▽2 前侍従長の「遺言」
歴史的天皇像の喪失は陛下の側近にまでおよんでいます。というより、側近たちこそ、震源地なのでした。
たとえば、日経ビジネスオンラインは特別企画として、戦後のリーダーたちが未来に託す「遺言」を連載していますが、2月4日の第10回目に登場したのは、今上天皇の側近中の側近である渡邉允(わたなべ・まこと)前侍従長でした(この文章を書いた当時は前職でしたが、現在では元職です)。
記事をまとめた中川雅之記者によるプロフィール紹介では、前侍従長の曾祖父・渡邉千秋氏は明治天皇崩御時の宮内大臣で、父は「昭和天皇最後のご学友」として知られる渡邉昭氏。現役の川島裕侍従長をのぞけば、唯一存命の侍従長経験者、と説明されています。
今上陛下に個人として近侍しただけでなく、家柄としても皇室ときわめて関係の深いキーパーソンだというわけです。
けれども、そうであるなら、いや、そうであるだけに、じつに不可思議です。
記事には、古来、天皇第一のお務めとされてきたはずの宮中祭祀も、ついこの間、国民的な大議論を巻き起こしたばかりの、いわゆる「女性宮家」創設問題も、すっぽりと抜け落ちているからです。
渡邉前侍従長ら側近たちは御在位20年をひかえて、ご高齢になった陛下のご健康をおもんぱかり、ご負担軽減に取り組みました。けれども、いわゆる御公務はいっこうに減らず、それどころか逆に増え、それとは対照的に、簡略化され、お出ましが激減したのが、天皇第一のお務めである祭祀でした。
これが平成の祭祀簡略化です。つまり、側近たちによる御公務ご負担軽減策は大失敗したのです(拙文「天皇陛下をご多忙にしているのは誰か」=「文藝春秋」平成23年4月号)。
しかしそれなら、御公務そのものをあらためて大胆に見直し、削減策を早急に講じるべきなのに、民主党政権は、皇室のご活動を安定的に維持し、両陛下のご負担を軽減するため、女性皇族にご分担を求めたいという理屈で、無謀にも皇室制度の検討に着手し、いわゆる「女性宮家」創設に関する有識者ヒアリングを開始させました。
かまびすしい論議の発端は、後述するように、御在位20年を機に、ほかならぬ前侍従長らが提案したことで、メデイアの初出はこれまたほかならぬ日経本紙の連載でした。ただし、このときの問題意識は「皇統の悩み」であり、「『このままでは宮家がゼロになる』との危機感」と伝えられました。
しかし国家の基本に関わる大テーマについて、あれだけの大論争を呼び起こしながら、結果的に何がどう変わったのか、嵐が過ぎ去ると、まるで何事もなかったかのように、元側近は黙して語らない、責任も問われない、メディアも報道しようとしない。これは、いったい、どういうことなのでしょうか?